大丈夫になった日

立ち上がると足が震えるほどテレビゲームをやって、エコバッグに財布だけ入れてアパートの外階段を下り自転車にまたがった。

暮れかかった空は薄青く、その色を写し取ったような涼気が辺りを満たしていた。

水彩画のような空に浮かぶ月を見た。満月に少し足りないその月は、空を満たす心地よい液体の海からゆっくりと浮上しつつその姿を現しているように見えた。

少し離れたセブンイレブン蒙古タンメンのカップ麺を3個買った僕は、坂道を自転車で駆け下りながらまたその月を見た。

風は渦を巻きつつ僕の後方へ流れ、坂の下で自転車を止めると空気もまた水面のように静止した。

イヤホンを着けた太った男性と並んで信号を待っている間、僕は「大丈夫になった」と小さくつぶやいた。

美しいものを眼前にしたとき、「大丈夫な時」と「そうでない時」がある。

今日みたいに良い月が出ていて、涼しくて過ごしやすい絵画のような夕方に一人でいると、大体今までは「大丈夫」じゃなかった。

一年に何度もない澄んだ空気を分かち合う人がいないことが寂しいのか、これといったことをせずに天気に祝福された日を過ごしたことが悔しいのか、全然わからないがとにかくひどく不安になり、心が動揺するのが常だった。

そんな時は、やむに已まれず当てつけのように風呂に入ったり、テレビを見たりして時間が過ぎるのを待った。

でも、今日、僕はついに「あ、大丈夫だな」と思うことができた。

自転車で坂を駆け下りながら月を見たとき、その月を「海に浸かっているみたいだ」と思った時、心の中に僕は僕だけが腰かけているのを確かに感じ取ることができた。

薄暮の世界は青ざめて美しく、辺りのマンションの外廊下やエントランスにオレンジ色の明かりが点々と灯って、わずかに赤みを帯びた薄い雲と呼び合っているようだった。くねくねと踊りながら父のそばを歩く小さな男の子や、手をつないでつまらなそうな顔をして歩くカップルや、ワンピースを着た細身の中年女性が完璧な空の下を行き交っていた。

なんで大丈夫になったのか分からない。この瞬間を待ちわびていたわけでもなかった。明日にはもう大丈夫ではなくなっているかもしれない。

でも、今日のこの気持ちを覚えている限りは、僕はまだ生きていけるのだと思った。

大学4年生のとき、卒業直前に一人で京都にいった。その時つけていた旅行記の、最終日にこんなことが書いてあった。

もろもろの現実が近づいてくる。万物には引力があり、現実の引力が嫌で俺は京都に逃げてきた。それがこの旅の始まりだったが、もう大丈夫だ。俺は自分で自分を幸せにすることができた。現実も、人生も、人間関係の煩わしさも、正面から抱擁してやろう。俺は精神の支柱を手に入れた。それは京都の山深い森の中に埋れていた。裏通りの地下にあるバーに、橋の上から見た夕焼けに、飛ばなかった風船の中に、俺は自分を生かしていくための場所を見つけた。掛け値なしの幸福を、覚えているうちには何があっても大丈夫だ。どんな敵とも戦える。

思うに、人生には(本当に数えるほど)何度かこういう日があって、そのたびに「生きていける」と思い直しながら人は生活を続けていくのだろう。ただ一人きり、自分以外には分けようのない日々を。

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筆者: すなば
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心に「ギャル」「OL」「ボーイ」を住まわせる

毎日を機嫌よく過ごすことから全てを始めなければいけないと思った。

複数のプロジェクトのピークが重なり会社で個人的繁忙期を迎えていた僕は、ここのところ激流を遡行する鮭のようにかろうじて毎日を生きていた。

朝起きる。シャワーを浴びる。会社に行く。会議会議作業昼会議会議作業作業会議作業作業夜22時。退社。食事を済ませて帰ると23時半くらいで、シャワーを浴びて支度を整えたらもう今日という日が暦上終わろうとしている。そんな日々だった。

人は生きている限り精神的貴族でなくてはいけない。たとえ1日の99%が他者や、社会や、自らの生理的欲求からの要請で埋められていようとも、残された1%の過ごし方を毅然として選び取る主体こそが精神的貴族(あるいは貴族的精神)というものだ。

そして、精神に貴族的余裕を持つことが難しいとき、それでも人の心を下支えするのが生活であり、日々の生き方であり、心がけなのだろう。

クソみたいな日々でも、心の中に貴族を住まわせ、その貴族のために生活を組み上げ、毎日を生きる。

そういうわけで、僕はいま大きく分けて「ギャル」「OL」「ボーイ」という3人の貴族のために生きている。(※最初に断っておくが、あくまでこれらは僕の心の中に住んでいる貴族の話であって、現実の人物を揶揄する意図はない)


ギャル

「ギャル」は感情と言葉が直結した貴族だ。

また、その感情も4種類しかない。「ウケる」「ヤバみ」「神」「は?」である。

利己的で素直な「ギャル」をもてなすには、朝が最も適している。朝は、多くの平日において最も自分が自由に構築できる時間帯だからだ。

晴れた朝はカーテンをさっと開けて、爽やかな光を部屋に入れる。昨日買っておいた甘いパンとカフェラテを振る舞う。シャワーを浴びてきちんと身支度をし、鏡の前で「今日もイケてる」と唱えて家を出る。

OL

「OL」はスマートさと美しさを尊び、泥臭さと外圧を嫌う貴族だ。

「OL」をもてなすのは、社会生活に身を置く昼間がいい。

ランチはあくまでマイペースに、映画や恋愛や旅行について考えながら食べ、デスクで済ませるときも自分がいま「オフ」であることはあくまで主張する(机上にプリンとコーヒーを置きPCのディスプレイの電源を落とすなど)。

会議や電話応対は愛想よく、人の話もよく聞くが、その実、感情は別の楽しいことを考えることに費やされており、要領よく物事をこなす。

上手な虚実の切り分けが「OL」の機嫌をとるコツだ。

ボーイ

義務から(部分的に)解放される夜には「ボーイ」をもてなそう。

「ボーイ」は生理的欲求に素直な貴族だ。肉が好きであり、楽しいことが好きであり、動物が好きであり、気さくで優しく、少しだけシャイである。

「ボーイ」はよく動く。腹が減ったら食べたいものを食べる。人とよく話し、よく笑い、中身のない会話よりも楽しくない会話を嫌う。

夜は銭湯で「ボーイ」を広い湯に泳がせたり、大きな肉の塊や白米を食べさせたりするのが効果的だ。気の合う人との無駄話もいいし、時間があればサイゼリヤで仲のいい人と話し込むのもいい。

おもちゃやゲームも楽しい。でも歯磨きとお風呂、それと宿題はちゃんとさせて早く寝かせよう。

そして朝がきて、僕の中で「ギャル」が目覚める。

最近はアンガーマネジメントの一環として、あるいは対人関係のコツや単なるライフハックとして、「自分の機嫌は自分で取る」という言葉がブームだ。

たしかに言いたいことは分かるけど、そうは言っても不機嫌な自分や怒っている自分、悲しい自分を押し殺すのも忍びない。

だから、別に「ギャル」や「OL」や「ボーイ」でなくてもいい。自分の中でふてくされている「貴族」を発見し、その「貴族」が快適に過ごせるよう、機嫌を取りながら生活していこう。

何はともあれ、生きるほかないのだから。

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筆者: すなば
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高校を卒業してから21歳になるまでの自分を殺してしまったことについて

初めて詠んだ自由律俳句は

 あんなカーテンがほしいと空を見て

で、それが詠まれたのは高校2年生の春だった。

その時習っていたこと、100m走のタイム、友人関係、ヒットソング、何一つ覚えていないけど、「あんなカーテンがほしいと空を見て」という句が生まれた時の手ざわりのようなもの、鼻の奥で感じていた空気の質感や光の柔らかさは今も思い出せる。

21歳から今までに詠んだ自由律俳句のほぼ全量を並べたtumblrを作った。

comebackmypoem.tumblr.com


並び順はランダムだ。

大学生時代に詠んだ句のすぐあとに、転職する直前に詠んだ句が続き、そのどちらもが「雨」について詠まれていたりする。

詠んだ時期のバラバラなひとつひとつの句を投稿していく作業は、なんだか自分の遺骨を拾っているような奇妙な感覚だった。

全ての作業が終わった時、僕はなぜか安堵していた。

昔を思い出して感傷に浸ることは、甘美な魅力を持っている。

誰にでも忘れられない過去があり、呼びかけたい名前があり、会いたい人がいて、やり直したい出来事がある。

しかし、いつからか分からないが僕は、そういったものに思いを馳せることを必要以上に忌避してきたように思う。

ある時期、僕はあまりに深く人を傷つけ、自身もまたあまりに深く傷ついた。

荒んだ心は、手負いの獣がやたらに人を噛むように、周囲の人をも傷つけてしまう。

僕が過去を振り返る時、たとえば高校時代や中学時代のような昔を振り返る時、その視線の上には見ていられない姿の僕がいて、無いはずの壁がパントマイムで見えるように、僕が傷つけている人の姿も浮かび上がってくる。

高校生から詠み始めた自由律俳句は、21歳でEvernoteに記録し始めるまでにいったん句作が途切れている。

その間もいろいろな文章を書いたけど、記録に残っているものはほとんどない。そしてその時期こそが、僕が最も向き合いたくない時期でもある。

かろうじて残っているのは、以下のような短文が少しだけだ。

猫はただただ純粋に僕を必要としている。言葉が話せないから、元気がなければ病院につれていく。看病をする。元気になったら僕にすりよってくる。なんて愛しいんだろう。猫にとっては飼い主なんて世話をしてくれりゃ誰でもいいわけだけど、愛することで救われることだってある。

たしか20歳の時に書いた。成人式に行かずに、家で泣きながら書いたんだと思う。この時のことを書くつもりはない。

自由律俳句を再開した21歳という時期は、いろいろなことが落ち着き始めた頃だ。

どのようなきっかけでもう一度自由律俳句を詠もうと思ったのか覚えていないけど、とにかく僕はこの表現に再会した。

あるいはそれは、猫が傷口を舐めるような必然的な行為だったのかもしれない。

好きな句がいくつかある。tumblrの表題作に選んだ

 木星と思いだした日

もその一つだ。


 漏れ出す音に耳をすませる

 どんな夜も夜の匂いがする

 誰かきたようなそよ風

 鳴り止まない拍手のような雨だ

 なんにもないソファーに座る

 立ち止まる夜に暮らしている


どれも、詠んだ時の出来事は忘れてしまったけど、句が生まれた瞬間の生々しい肌感覚や、心の様子や、目にしたものの鮮烈さは焼き付いて離れない。

以前、僕は自由律俳句について、このような記事を書いた。

comebackmypoem.hatenadiary.com

ただその情景は、鑑賞者の記憶の中にある「あらし」や「青空」の像と結びついてのみ、よみがえるのを待っている。

僕が感じたことは、他の誰にとってもどうでもいいことだろう。

それでも、これらの句が誰かにとり、この句でしか呼び起せない感情や、光景や、温度や、匂いを喚起させることが一度でもできたのなら、今日まで生きてきた意味があったと思う。過去を恐る恐る振り返りながら。

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筆者: すなば
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