半妄想転職旅行記・箱根編 その1


※この文は実際の一人旅に架空の道連れが居たら、という妄想を織り交ぜて書いたフィクションです

 どこでもいいから温泉のある土地へ一泊の旅行に出かけようと決めて、消去法で箱根になった。6月半ばのある晴れた日、僕は帆布のボストンバッグと帆布のトートバッグを足元に置いて、小田急新宿駅のホームにいた。
「本当にビールを買わなくてよかったんですか」
 アキヨシ君が腕組みをして線路の先を見ながら言った。ごつごつとたくましく日焼けした腕に、小田急百貨店のビニール袋がぶら下がっている。中にはさっき買ったという「浅草今半」のすき焼き弁当とサッポロ黒ラベルの350ml缶が入っている。
「毎日送別会で飲みすぎてるんだ。どうせ夜も飲むんだし」
「僕の会社の同期、先輩の送別会で飲みすぎて女子社員の服にゲロ吐いたんで来月から異動になりました」
「なんだよ、その話……」
 アキヨシ君は僕の後ろに並んで一緒にロマンスカーの到着を待っているのだが、会話をしながら半身を線路側に乗り出して、ずっと線路の先をにらんでいる。そんなに到着を気にしなくても、発車時刻から逆算すればあと2,3分でロマンスカーはくるし、その後は車内清掃で5分くらいは乗れないのだ。彼は手持ち無沙汰なとき、とりあえず遠くを見る癖があった。
「でも、栄転なんですよ。社長室直下のCS企画部ってとこに行くんです。本人は行きたくないみたいですけど。みんな『ゲロ出世だ』って」
「それ、ゲロ吐いたのと異動するのと実は全然関係ないんじゃないの?」
「話しながら僕もそんな気がしてました」
 ホームには続々と乗客が集まってきて、僕たちの後ろにも次々人が並んでいく。僕は列の先頭にいた。かれこれ20分くらいはここに立っているのだ。アキヨシ君とは乗り場で待ち合わせをしていたので、合流したときに少し呆れられた。
「普通は後輩が先に到着するものですよ」
「俺にそれを言われても困るよ」
「いや、早すぎるんすよ。僕だって弁当買ってから行くんでだいぶ早めに家出ましたからね」
「俺はね、暇なんだ」
「はあ」
 聞くとなしにホームのざわめきの中に意識を泳がせていると、どこかでサラリーマンの2人組が「はぁ~~これが温泉旅行ならなぁ!」と嘆き合っている声が聞こえてきた。これから出張に行くのだろう。
「有休取って温泉旅行いくのってもっとワクワクすると思ってましたけど、意外と落ち着いてますわ」
 線路の先をにらむのを諦めたアキヨシ君が、今度は下に置いたリュックを見ながら独り言のように言った。
「3年も働いているのに、今まで1回もなかったの?」
「なくはなかったですけど、4連休とか5連休とかを半年前から計画して取るみたいな感じだったんで。突発的に休みとって旅行いくのってなんかテンション違うじゃないですか」
 あぁ、たしかにそうかもね、と相槌を打とうとした瞬間、
吉高由里子みたいな感じで」
 鼻先を叩かれたような沈黙が生まれてしまった。微妙に分かるような分からないような例えほど時を止めるものはない。その時ホームに、ロマンスカーの到着を告げるアナウンスが流れた。
「やっとだ」
 吉高由里子の件を流しつつひとりごちると、アキヨシ君も「やっとっすねー」とそれに応じた。電車を待つ人の心持ちがなんとなく落ち着かないものになったのを、ホーム内の雰囲気のわずかな変化が僕たちに教える。
 ホームに滑り込んできたロマンスカーからは、箱根や小田原から乗ってきたであろう乗客たちがわらわらと出てきた。老人会みたいなグループや若いカップルやいろいろいたが、僕はその中から不倫っぽい二人組を探すのに集中していた。3組ほど見つけたところでアキヨシ君が
「はやく温泉入りてえな」
 とつぶやいた。

 特急列車に乗るといつもびっくりするのは、席に着いてから出発するまでの素早さだ。飛行機なら座席に腰を下ろしてから離陸するまでたっぷり15分はあるが、列車の場合は文字通り息つく間もなく車窓の景色が滑り出す。このスピード感に毎回小さく驚いてしまう。もし発車時刻に少しでも遅れていたら――と考えると背筋が寒くなるのだ。
 という話をすると、アキヨシ君は「だからあんなに早く来てたんですね」と言いながらもそもそ足を動かし始めた。アキヨシ君は通路側に座っている。「車内販売でいろいろ買うかもしれないんで」と言って窓側を譲ってくれたのだ。
 急に両足をくっつけてもじもじし始めたので急を要する尿意(ないし便意)が到来しているのではと思ったが、どうやらスニーカーを脱ぎたいようだった。飛行機や新幹線で腰を落ち着けたとたんに靴を脱ぐ人はけっこういるが、僕はあくまで装着派だった。到着が近くなったとき、どのタイミングで靴を履けばいいのか迷うのが嫌なのだ。
 新宿駅の屋根を抜け、ロマンスカーはビルとビルの隙間を縫うように走っている。昼の日差しがくっきりと夏のコントラストを街中に投げかけている。
「弁当いつ食べます?」
 アキヨシ君はひじ掛けからテーブルを出していた。飲み物を置くくぼみにはびっしり汗をかいたサッポロ黒ラベルの缶が立ち、テーブル面積のほとんどを占める「浅草今半」のすき焼き弁当に劣らぬ存在感を誇っている。
「もう食べる気満々じゃん。食べなよ。ビールぬるくなるよ」
「いやいや、さすがに町田着く前に弁当食べ終わってんのは萎えますよ。俺的には厚木出たあたりがいいタイミングだと思うんですけど」
「う~ん、厚木なぁ」
 僕も平静を装ってはいたが、弁当を食べ始めるタイミングに関してはかなり慎重だった。早すぎると旅情がない。遅すぎてもあわただしい。適度に東京が遠ざかった時に食べ始め、景色を楽しみながら食事をし、トンネルが多くなる山間部にさしかかったあたりで食べ終えるのが理想的だ。それを勘案すると、確かに「厚木を出たあたり」はかなり回答として正しい気がした。
「厚木を出たあたりでいいと思う。俺もそれくらいから食べ始めよう」
 ですよね、と言うやいなやアキヨシ君は黒ラベルの缶をプシュッと開けた。
「厚木までに一本飲み切ります。車内販売で黒ラベルありますかね?」
 町田が近づいていた。

 厚木を出発してからのアキヨシ君のスタートダッシュはすさまじく、ものの3分で弁当を平らげると2本目の黒ラベルをぐびぐびと飲み干し、「あぁぁ~」と幸せそうに濁ったため息をついた。
「アキヨシ君、一瞬も景色見なかったね」
 僕は「まい泉」のロースカツ弁当をちまちまと食べていた。平時なら僕もビールを飲まずにはいられないシチュエーションではあったが、連日の送別会疲れとアセトアルデヒド脱水素酵素の在庫事情が自制心を強固にしていた。
「思ったより腹減ってました」
 アキヨシ君は薄笑いを浮かべている。
「なんかだんだん楽しくなってきましたね」
 それはたぶん酒のおかげだ。「旅はいいねぇ」とつぶやいて、僕は窓外の景色を見た。厚木の町並みを抜けると、公園なのか森林なのか判然としない緑地のそばを突き抜け、畑と小さな住宅地が交互に現れるようになる。小学生のころ、両親に連れられて帰省した祖母の住む町はこんなところだったな、と思った。アキヨシ君は思い出したようにスマホを取り出すと、空になった弁当と缶ビールを写真に収めていた。
「インスタに上げるの?」
 冗談のつもりで訊くと、アキヨシ君は「今彼女に送りました」ともっと信じられないことを言った。
「ごめん、なんでか聞いてもいい?」
 アキヨシ君はすらすらとスマホを操作しながら、「いや~~なんか変な感じなんですよね」とお茶を濁す。僕は食べ終えた弁当をビニール袋にしまった。
「彼女って、前会った時と同じ子だっけ」
「そうっす」
 たしかアキヨシ君は1年くらい前から高校時代の同級生と付き合っているはずだった。
「順調なの」
「まぁまぁですね」
 どうも要領を得ないので、一旦僕は会話を切り上げることにした。アキヨシくんは熱心にスマホを操作している。彼女は働いているはずだったが、時間を見るとたしかにお昼休みどきだ。彼女の方がスマホに張り付いていて、すぐに返信がくるのだろう。仲はいいみたいだ。
 僕もなんとなくスマホを開いてみたが、ニュースサイトのアカウントからメッセージが1件きているだけだった。窓の外に目を移す。と、突然景色が暗転してごぉごぉと低い音が反響した。トンネルに入ったのだ。
 ペットボトルのお茶を口に含んで、ふぅ~と大きなため息をつく。
 その5秒くらい後に、アキヨシ君の身体が座席の上で小さく跳ねた。
「あ~もうっ」
 液晶画面を下にしてばん、とスマホをテーブルに置く。
「どしたの」
 僕が顔を向けると、アキヨシ君は黒ラベルの空き缶を指先で凹ませた。ぺこんっと小さく鳴きながらお辞儀をするように星マークが下を向く。
「めんどくさいんですよね、彼女……」
 順調じゃないじゃん。

(つづく)

石川県・転職旅行記2

前回はこちら
comebackmypoem.hatenadiary.com


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 ちょうど地元の高校の下校時間と重なり、七尾線の車内は高校生でごった返していた。中・高と都心の男子校で育った僕は"田舎の高校生"という生き物を全く見慣れておらず「笑ってコラえて」のダーツの旅に登場する架空の生き物とすら思っている節があったため、隣の席に田舎の女子高生、正面に田舎の男子高校生、彼らを挟んで向かいの席には田舎のギャル、という状況はとても刺激的だった。隣席の女子高生が弁当の残りを食べ始めたときには思わず拍手しそうになったくらいだ。
 ゴトゴト揺られている内に高校生の姿も少なくなり、1時間ほどで七尾に到着した。ここからローカル線に乗り換えるのである。ホームに降りると、もはや姿を消したと思っていた高校生たちが他の車両からわらわらと降りてきたのでびっくりした。その内の半分くらいは検札台の駅員に定期を見せて慣れた様子でローカル線に乗り込んでいく。2両編成の、おもちゃのような電車である。
 問題が1つあり、僕はPASMOでここまで乗ってきたわけだが、このローカル線はICカード非対応なのだ。検札台の駅員に「ICなんですが」と聞くと、50代後半くらいのくたびれたバッタのような顔の駅員は「ダメだよそれは」ともごもごつぶやくように言った。ダメなのは知っている。
 どうすればいいのか聞くと、ICカードの精算は後日他の駅でなんとかして、とりあえず七尾から和倉温泉までの運賃を車掌に払ってくれとのことだった。ワンマン運転のその列車は、地方の路線バスのように、乗車駅で整理券を取って降車駅で料金を支払う仕様だった。
 幸運にも財布の中にはぴったりの小銭があり、和倉温泉駅での降車はスムーズだった。改札を出ると、旅館の送迎酒の運転手が待っていた。恰幅がよく、どことなくパディントンベアみたいな雰囲気がある。マイクロバスに乗り込むと、中年女性の2人組が穏やかに笑いながら何かを話していた。箱根でもイヤというほど見た組み合わせだ。

 客室からは海が見えた。

(旅行記はここで終わっている)

(いずれ追記します)

石川県・転職旅行記1

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「間違って入っちゃって」
 繰り返しの更新ですっかり印字のかすれたPASMO定期券を受け取った快活な女性駅員は、あぁ、と声に出さず呟いたように見えた。まだ若い。20代前半に見える。
「もう、戻ってきませんか? またきますか?」
 神妙な言葉遣いだな、と思いながら僕は「また戻ります」と言った。
 はい、と手渡されたPASMOを改札機に押し付け、僕は金沢駅を出た。

 11時24分発の北陸新幹線はくたか」に乗り込んだ僕は、最初車窓を眺めて王子の「飛鳥山公園モノレール」を珍しく思ったりし、のんびりと過ごしていた。駅弁は東京駅で買ってある。13時くらいになったら食べようと思っていた。
 トンネルが連続するようになると外を見ても詰まらず、スマホも圏外となり、手持ち無沙汰になったので荷物から本を取り出した。森見登美彦の『夜行』。先週箱根へ一泊旅行に出かけたとき、旅先で『夜行』を読むのもいいな、と思ったのだ。
 第一章を読み終わったとき、僕はかなり微妙な気分になっていた。『夜行』は、旅を巡る怪奇譚だ。共に旅行に行った連れ合いが、ふと目を離して視線を戻すともうそこにいない――という、悪い夢のような、とてつもなく悪いことが自分のあずかり知らぬところで起こってどうにも止めようがない、という、だだっ広い密室に少しずつ水が注がれていくような恐怖を味わえる名作であるが、これから旅が始まろうという行きの新幹線で読むような本ではなかったような気がする。
 一旦本を閉じ、僕は弁当を食べた。鮭のほぐし身といくらが半々でご飯の上にのっかっているやつだ。たぶん北海道あたりの駅弁だろう。ぽろぽろご飯からこぼれるいくらを助けながら、10分くらいで食べ終えた。
 隣にはちょっと口の臭い、フレームの細い眼鏡をかけた50代くらいのサラリーマンが座っていて、机の上で何かの図面に線を書き込んでいる。
 新幹線は、高崎から長野へと向かっていた。窓の外には田園が繰り返し現れては消えていく。息をついて第二章を読んだ僕は、自分の心がどんどん迷子になっていくのを感じていた。
 箱根では結局旅行記を書き切ることはできず、こうして新幹線に揺られながら景色を見ていても、ぼんやりとした情景が浮かんでは消えるばかりで、俳句に至っては詠む気にすらなれない。僕はこのままどうなってしまうのだろうと思った。
 もはや仕事を辞め、編集者という肩書を捨て、自分のメディアを立ち上げるという獏とした目標のために飛び込むWEBマーケティングの世界で、僕は何者かになることができるのか。昔、僕は世の中のことがほとんど何一つ判らず、自分に対してこれっぽっちの自信もなく、代わりに文章や詩歌は厭というほど湧いて出てきた。世界への違和感は噴出して止まなかった。
 いつからか僕は自立した、常識のある、人当たりのいい、ほどほどに気が利く、ただの男になってしまったのだろう。とは言え、そうなろうと願ったのは他でもない僕自身だ。どこでこの道に乗ったのだろう。大学に入る時、目標を「とにかくモテる」と設定した時だろうか。それとも、3年半付き合った彼女に命令され、車の中で自ら火の点いたタバコを己の左手に押し付けた時だろうか。あるいは、その彼女と別れた時? 就職が決まった時?
 考えても仕方のないことだった。今さらどれだけあがこうとも僕はモテようとし、超弩級のメンヘラと付き合い、そして別れ、就職をした。それはもう曲げようのない事実として、僕の背骨を支えているのだった。
 宿についたら、とにかく何でもいいから文を書こうと思った。旅行記でなくてもいいではないか。如何に創造性がすり減り、感性が死んでいったとしても、僕は文章を書くことによって生かされてきたのだし、これからもきっとそうだ。とにかく書くことで、僕は初めて今の自分の姿を見ることができるような気がしていた。

 いつの間にかうつらうつらしていて、僕は一人の女性に一所懸命に話しかけていた。会ったことのあるような、ないような、親しげなその人のことは目覚めると同時に殆ど忘れてしまっていた。明らかに『夜行』の影響を受けた夢だったが、夢の中の僕はたしかにその女性とよく知り合っていて、僕らが出会い、話すに至るまでの物語があるはずだった。それを置き去りにして、僕はまたこの新幹線の車内に帰ってきたのだ。
 30分くらいして、金沢についた。ここから七尾線に乗り換え、ローカル線に乗り継いで和倉温泉を目指すことになる。
 トイレに寄ったら乗るつもりだった14:29発の電車を逃してしまい、まぁ次のに乗ればいいだろうと思って路線検索をしたら次の電車は16:30発だった。にわかには信じがたい事実だったが、七尾に向かう電車は30分に一本、そこから和倉温泉へと向かうローカル線の本数はさらに少なく、2時間近くの余白が生まれてしまったわけだ。
 そういうわけで僕は駅を出て、駅前のスタバでこれを書いている。そろそろ電車の時間だ。

(つづく)