彼女と別れて1週間の編集者がオススメする最強の合コン服

服を買った。

ユニクロ以外で服を買うのは実に約1年ぶりで、というのも、友達がいないくせに飲み会は多いのでバンバン金が飛んでいくし東京の家賃は高いし料理もしないので食事は全部外食という感じでファッションに割く金などありようがなく、そこにきて3か月前から計画していた旅行があったりして口座も財布も息の根を止められつつあった。そんな僕が服を買った。しかも伊勢丹で買った。新宿の、伊勢丹、メンズ館だ。あまりに中国人が多いので「ここは上海か?」と思ったけど国際都市で様々な人種が行きかう上海よりも比率としては多かった気がするぞ。上海行ったことないけど。

虎の子の8万円をここにきてなぜ服につぎ込んだかというと彼女と別れたからなんです。そのことについて長々と語るつもりはないが、とにかく、僕は新しい服を買おうと思った。別れを切り出したのは僕だが別に束縛されていたわけではないからそこに解放感などなく、できた時間でやりたいこともなく、ほかに好きな人なんていないし、適当にへらへら合コンでもしながら日々を送るか来週誕生日だけど。1カ月後クリスマスだけど。などと考えていたが一つだけ自由になったものがあった。今まで恋人との時間に投資してきたお金だ。これを服に使おうと思った。

もともと僕は服とかファッションが好きな方で、大学時代はキャンパス近くの古着屋に入り浸っては店員の口車に乗って乗って乗りまくりレディースの赤いベロアジャケットなんかを購入して悦に入っていたタイプの救いようがない学生だったのだが、幸いなことに今はその嗜好も多少は落ち着いてワードローブもずいぶん地味な色合いになった。そうやって大人になった僕が伊勢丹をさまよって買った服がこれだ。

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MAISON KITSUNE'のナイロンブルゾン。

今の時期は前を閉めてコートの下に着れるし、春にはアウターになるし、ちょっと暑くなってきてもTシャツの上にさらっと羽織れる。クソ根暗文科系伊達眼鏡の僕はこういうスポーティな服をあまり持っていないので目先を変えてみるのにもちょうどいいかなと思った次第だ。

さて、それとはまったく関係ないが、僕は「MAISON KITSUNE'合コン最強説」という持論を持っている。

まず、デザインが普遍的でほどよくカジュアルで物がいい。加えて、MAISON KITSUNE'最大の特徴であるキツネのワンポイント。これが重要なのだ。かわいいよね、キツネ。

このワンポイントがすごくて、特にMAISON KITSUNE'を知らない女性でも「あ、キツネだ。かわいー!」となるし、ファッション感度が高い女性なら「MAISON KITSUNE'の服じゃん! やっぱり(物が)いいねー」となるし(ここから「センスがいいねー」とつなげるには着る人の努力が必要)、同席する男性からしてもMAISON KITSUNE'は嫌らしく見えないというか、高級時計みたいにいかにもな経済力アピールの記号にはならないし、ファッション感度が高い男性からも「お、キツネか、いいね」くらいで済む。なんでか知らないがMAISON KITSUNE'をマウンティングするファヲタは少ないですよね。なんでですかね?

要するに、MAISON KITSUNE'は合コンファッションにおける超八方美人の優等生ブランドなのだ。加点はあっても減点はないという稀有なブランドなので「合コンに行くんだけど何を着ていけばいいかわからない」と相談されたら僕は「ヤフオクでMAISON KITSUNE'のセーターを買え」と答えることにしている。そんな相談されたことないけどな。

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かわいい、キツネ

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ちょうど左乳首のあたりにキツネのワンポイントがくるセーター。女の子に触ってもらおう

「老い」も「妊娠」も障害だ

週末にはたまに銭湯に行く。自宅から歩いて5分くらいのところだ。

前に行ったのは1か月くらい前だっただろうか。引き戸を開けると、番台にはいつものお婆さんではなく初老の女性が座っていた。
「千円札でもいいですか?」
「はい、いいですよ。お釣りです。ごゆっくり!」
快活にハキハキと接客してくれる様子が、なんだか妙に新鮮だった。

銭湯の楽しみといえば、何をおいても交互浴である。熱い風呂と水風呂に交互に入ることで、体を芯から暖める入浴法だ。これは家風呂ではとても再現できない贅沢である。

交互浴に集中するため、かけ湯をしてすぐに浴槽に、なんてことはしない。体と髪を入念に洗い、洗い終わったら軽く体を拭いて、一度浴場から出て持参した石鹸類をロッカーにしまう。そして手ぬぐいだけを持って戻り、まずは薬湯に入る。

薬湯と言うのは、要は入浴剤を入れた湯のことであり、週替わりで種類が変わる。本当にあるのかどうかわからない保湿効果とかはどうでもよく、重要なのは薬湯が「少しぬるめ」であるということだ。まずここで1分ほど湯に体を慣らし、隣のジャグジー風呂に身を移す。

この銭湯のジャグジー風呂は熱めの湯温で、体の柔らかいところに当てると痛いくらいの強すぎるジェット水流が老若を問わず人気だ。肩まで湯に沈めると、ちょうど腰のあたりに2本のジェットが直撃する。日頃のデスクワークで変な癖がついた筋肉を、問答無用で解きほぐしていく感覚がたまらなかった。

水風呂に移る。ここの水風呂の浴槽は小さく、大人1人が入ったらもういっぱいだ。すぐにぬるくなるから、入っている間は蛇口をひねって冷水を入れ続けるのがマナーである。水風呂は最初に入るときだいぶツラいが、川を渡ってベースキャンプから逃れる捕虜になったつもりで入るとそんなシチュエーションも楽しめるのでオススメだ。


冷水の中で毛穴が閉じていくのを静かに感じていると、すぐ横で生まれたての小鹿みたいに震えているおっさんがいることに気づいた。


ジャグジー風呂と水風呂は隣接しており、おっさんはジャグジー風呂から出ようとしているらしい。どうやら足腰が不自由なようで、座った状態から身を起こすのにも大変な労力がいるようだ。手すりに両手をかけ、やっとのことで身を起こしたものの、ジャグジー風呂の「敷居をまたいで浴槽の外に出る」という行為にまた苦労しているようだった。全身をぷるぷる震わせながら、どうにか片足を上げて浴槽の外の床に置くと、今度はその倍近い時間をかけて次の足を上げる。足腰をかばって全体重を手すりに預けている両腕がぶるぶると気の毒なくらい震えていた。

はた目から見ても、一連の動作で起き上がるだけで相当な体力を消耗したであろうことがわかった。おっさんはなんとか敷居に腰かけ、静かに肩を上下させて息を整えていた。一息に風呂から上がれないくらい、足腰が言うことを聞かないのだ。

水風呂は、ジャグジー風呂の出島みたいな形で、洗い場の方に突き出している。水風呂から一番近いユニットには、おっさんの物と思われる入浴用の椅子と前腕型の杖があった。

ロフストランドクラッチ(前腕型杖) LC-Mlife_mart 背もたれ付き シャワーチェア 介護用 高さ調節付き椅子

杖は椅子に立てかけてあったのだろうが、今は床に横たわっている。おっさんとの距離から考えて、めいっぱい上体を沈めて腕を伸ばさないと届かないことは自明だった。

息を整えたおっさんの目線が、床に横たわる杖の方に泳いだ――と思ったら、おっさんはまた前を見据えた。

俺には、痛いほどに、おっさんの気持ちがわかってしまった。俺は昔、骨盤を骨折したことがある。骨がくっつくまでは入浴もままならず、病院の風呂に入るにも松葉杖が必要だった。健康な時は考えもしないが、骨盤を折ると「絶対にできない姿勢」がそれはもう多くなるのだ。ほんの少しの角度、ほんの少しの距離の差で、すぐそばに落としただけの物が絶対に自分では拾えなくなってしまう絶望。それに気づいてしまったとき、俺は一度、その物から目をそらしたのだ。誰かの力を借りなければいけない、情けない数十秒先の未来が確定したとき、俺は束の間、気づかないふりを誰に見せるでもなくしてしまうことがたびたびあった。それは自分への言い訳であり、自分のプライドを守るためでもあった。

おっさんにも、それが見えてしまったのだ。

あの杖を取るための困難が。

足をもがれた虫が数センチ先の餌を得るためには、気まぐれな人間の助けが必要だ。そうなった虫は助けられる間もなくカラスか何かに食われるだろうが、現代日本で同じ状況におかれた人間が捕食されることはない。その代わり、誰かの「善意」に、自分自身のすべての運命を預けなければいけない。そういう瞬間が、まさにこの時、おっさんに訪れていた。

俺は少し迷ったが、おっさんの視線がふたたび動きそうになったタイミングを狙って、「これ、取りましょうか」と声をかけた。

おっさんは一瞬「え?」と聞き返したが、俺は無視して杖を拾い、おっさんに手渡した。

おっさんは「ありがとう」と言った。

「きみ、女性にもてるでしょう。よく気がつくね

俺は「いや、そんなこと」ともごもご言いながら、自分が水風呂に長く入りすぎたことに気が付いた。

「学校じゃ教えてくれないもんね、こんなこと」

おっさんはそう言いながら、今度は杖を水風呂の敷居に立てかけようとしていた。俺もそれを手伝い、なんとか安定してひっかけることができた。

「でも今どきは、福祉施設で学習したりすることもあるらしいですよ」などとよくわからないことを言いつつ、俺はジャグジー風呂に戻って、おっさんの斜め後ろの湯に身を沈めた。それから、言葉を交わすことはなかった。

さて、おっさんはと言うと、杖を使って起き上がったのだが、それがまたハラハラドキドキで、まず腰を浮かせるまでに壮絶なまでの時間を要した。もちろん全身は震えている。気の毒なくらい体重をかけられた杖が、床で滑ってしまわないかと俺も気が気でなかった。ここで手伝うことはしなかったし、してはいけないとさえ思っていたが、今となってはその判断も正しいのかどうかわからない。

なんとか立ち上がったおっさんは、「じゃ、また」と俺に一礼し、ペンギンのような歩みで、ゆっっっくりと脱衣所に向かっていった。

それを薬湯から見ていたジイさんたちが、何を言っているのかは聞こえなかったが、まぁおそらくは「大変そうだなぁ」とか「大丈夫かなぁ」とか話していて、俺はその時ふと思ったのだ。


あぁ、障害ってこういうことなんだと。


ケガなどの一時的なものかどうか分からないが、あのおっさんは間違いなく身体障害者のカテゴリに入るだろう。

なぜかというと、「普通の人」の使用を想定して作られた物を普通に扱うことができないからだ。今回の場合は、またがなければ出入りできない銭湯の浴槽がそれだ。

障害の本質は「"普通"を想定して作られたものに対応できない」というところにあり、表向きのレッテルは障害者本人にとってはどうでもいいことだろう。

だから、自分の意に反して局部から血が出てしまう「生理」もある種の障害と言えるし、筋機能や視力や聴力がおしなべて落ちる「老い」も、激しい運動ができず腹部が大きく膨らみ体調が不安定になる「妊娠」も、本質的には障害の一種だ。骨盤を折ることだって障害だ。

一般に言う「障害者」との違いは、生理や妊娠は人類の半数、老いは全人類が経験し得るという"母数"の差でしかない。

そういうフラットな視点で考えると、「女の子が重い荷物を持っていたら代わりに持ってあげる」とか「妊婦に席を譲る」とか、畢竟、「同僚の資料探しを手伝う」とか「幹事慣れしていない友人にいい店を紹介する」とかも"障害のケア"と考えられるんじゃないだろうか。

人間関係を運営する上で当たり前の気配りの延長線上に、バリアフリーがあるんだろう。

「障害」は誰でも抱えているものだ。それを助けることにためらいなどいらない。特別な憐憫もいらない。誰かが困っていて、自分がそれを助けられるなら、助けてやればいい。

「障害者を助ける」ということが高尚な行いになればなるほど、この国は住みにくくなってしまう。


そんなことを考えながら風呂を上がってフロントの待合所に戻り、コーヒー牛乳を飲もうとドリンクの陳列棚を見たら牛乳瓶が消えて紙パックの牛乳とコーヒー牛乳が並べられていた。仕方なくオロナミンCを買い求めると、テレビを見てケラケラ笑っていた番台の女性が愛想よく「120円です~」と対応してくれた。「ハイヒャクエン」といつも食い気味に答えていたお婆さんも瓶の牛乳ももうなく、もしかたらこの先もずっとないのかもしれないと思った。

シティボーイなのにう○こを漏らした

ここのところ仕事がマジで忙しくブログを開設した事も忘れて東奔西走していたところ高熱を出して木曜夜に倒れ、2日で復活した起き抜けに「そういえば俺はブログを作ったんだ」と思い出して今に至る。

前回の記事でいわゆる「お題募集」をしたところ、1本目の記事が巻き起こした喧騒が嘘のように静かな通知欄となり、たった1通だけTwitterのDMで「う○こを漏らしたことはありますか」とクソみたいな(umai!)質問が来た以外は何らの言語的リアクションも得られずインターネットの冷たさを身にしみて味わった。誰も俺などに興味はないという事実、@Copy_writingのカリスマ性、そして女子高生のブランド力の凄まじさをただただ痛感するばかりであった。

せっかくなのでう○こを漏らした中1の冬の思い出を赤裸々に綴ろうとも思ったのだが、そもそもにしてこのブログは「シティボーイのおしゃれなブログ」というコンセプトのもと立ち上がったものであり、タイミング悪く俺が最も嫌悪する人種の代表格であるところのコピー野郎が炎上していたので手のうずきを止めることができないままヘイトをまきちらしたところ「変態おじさんの変態ブログ」的な立ち位置を確固たるものにしてしまったことは遺憾の極みであるので当分はオシャレでスマートな記事しか書かない。ご了承いただきたい。

というわけで、今回はう○こを漏らした中1の冬の思い出について書く。

俺は幼稚園から大学院まである一貫教育の私立学校に中学から通っていた。男子校である。中1の冬というと、ようやく周囲とも打ち解けて気のおけない友人ができ、ジャイアンとスネオを足して2で掛けたような幼稚園上がりのボンボンどもとも日本語で意思疎通ができるようになりはじめる頃合いである。

あれは、希望者が参加する2泊3日のスキー合宿でのことだ。

両親が『私をスキーに連れてって』直撃世代であったこともあり、俺はスキーに関しては、小学校4年生の時分にはすでにパラレルターンをキメられるほどの腕前を有していた。ゲレンデにもスケートリンクにも必ず一定の割合で大人たちの隙間を縫うようにやたらと達者に滑っていく小生意気なガキがいるものだが、そういう種類の子どもだった。

スキー合宿は楽しく、「ゲレンデデビューは3歳の時カナダの犬ぞりで」(想像)的なクラスメートとも仲良く銀世界をエンジョイ。合宿自体も、2日目の午前に17班のH君がなぜかリフトからずり落ちてシートに右手1本で掴まっただけの宙ぶらりんとなり(このとき斜面との落差15m)死ぬ気で20秒耐えたのち「今だ! 落ちろ! 落ちろ!」とインストラクターの絶叫とともに落下して「メテオ」の称号(3日で呼ばれなくなったアダ名)を得た以外は何らのアクシデントもなく終わった。

帰りのバスまでは。

3日間の日程を無事終了した生徒たちは、厳命されていた日焼け止めの塗布を怠ったばかりに1ヶ月は引きずるゴーグル焼けをどいつもこいつも顔面にクッキリと作っていかにも「冬を別荘でエンジョイしたお坊ちゃん」的雰囲気を漂わせていた。都心の学校を目指すバスの、和気藹々とした車内で、一人だけ蒼い顔をしている生徒がいる。誰あろう、MM5(マジで漏らす5秒前)状態の俺である。

そのとき俺の隣に座っていたYくんは、ご多分にもれず幼稚園上がりのボンボンで、色白で細面のちょっといい匂いのする少年であった(モテた)。高校1年生の夏に原因不明の血尿を出すまでは挫折というものを知らず、当時は人の痛みのわからぬ傍若無人ボーイだった(だがモテた)。

出発直後から周囲の生徒を6人ほど巻き込んで大富豪や淫語しりとりに興じていた俺はすっかりハイテンションになっており、1学年300人を超える学校であったのでバス内で新しく友人を作れたこともあって我を忘れてはしゃいでいた。4時間強の帰路で1度だけあったSAでのトイレ休憩ではたこ焼きとソフトクリームを買い食いしトイレに寄らずにバスに戻るという軽挙妄動に打って出て、極めつけにはファンタグレープの500mlペットボトル入りを自販機からテイクアウトしバスの中でがぶ飲み。がぶ飲みしながら淫語しりとりを再開。大した語彙もないのに淫語しりとりの何がそこまで面白かったのか今となっては不明だが(とは言ったものの今も酒が入ると「う○こ」「ち○こ」だけで2時間は笑える)、とにかく楽しかったのである。便意の存在をしばらく忘れるほどに。

書き忘れていたが、俺は相当お腹が弱い。これは恐らく遺伝によるもので、その後の人生でも何度となく苦しめられる悲しきカルマであった。酔いつぶれて正体をなくした父が「その辺にクソひり出してないでしょうね!?」とにわかには信じがたい叱責を母から受けているのを何度となく子供部屋のベッドで聞いていた俺は、その時になって初めて血の宿業を感じた。めちゃくちゃう○こしたい。気付いた時には既に事態はフェーズ4まで移行しており(6で漏れる)、絶望と腹痛、そして直腸に感じる禍々しい気配に顔面蒼白となり口数も少なく、淫語しりとりで番が回ってきても「イ……イカの臭い」などと蚊の鳴くような声で返すのが精一杯だった。

そして、俺の異変に目ざとく気付いたのが隣のY君である。Yくんにうんこを漏らしそうな隣人の気持ちはわからぬ。Yくんは何不自由なく生きてきたボンボンである。しかし人の弱みには人一倍敏感であった。

「お前どうしたの?」 とYくんは俺に聞いた。

「ちょっと……腹痛くて……」祈るような気持ちで俺がそう返すと、Yくんは「ふーん」と返して少しだけ笑みを浮かべ、突然俺の腹にパンチを打ち込み始めた

「オラッ!(ボグッ) オラッ!(ボゴォ)」「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」

経験がある方はわかるかと思うが、腹痛がマジでヤバイ時は身体を1mmたりとも動かしたくないのである。大声も出したくない。全身の筋力という筋力、精神という精神を全て直腸の蠕動運動を押しとどめるために総動員しなければならないのだ。トイレに向かうときですら歩き方には細心の注意を払わねばならぬところを、腹パンでもされようものなら泣きっ面に蜂、焼け野原にテポドン、臨時出費にリボ払いである。Yくんとしてはまさかさっきまで一緒にはしゃいでいた俺が一気にフェーズ4まで移行しているとは思わず、ほんの戯れのつもりの腹パンだったのであろうが、それにしたって「腹が痛い」と訴える友人の腹を殴りつけるのは人としてどうかと思う。

その腹パンにより、便意はフェーズ5へと移行した。

もはや一刻の猶予もない。

脂汗を浮かべながら視線を巡らせると、青い半透明のエチケット袋が目に止まった。

フゥーッフゥーッと荒い息遣いでエチケット袋を取り出して広げ始める俺を見てようやくYくんも事の重大さを認識したと見え、通路を挟んで隣に座っていたKくんに命じて「こいつがやばいからすぐトイレ休憩するように運転手に言え」と命令。このころのYくんは、面倒なことは全て他人を動かしてやらせるという信条を曲げようとしなかった。信じられないかもしれないが、「花男」の道明寺のような思考回路の男は実在する。Kくんが前方に座っていた教師に俺がMM5である旨を伝え、様子を見に来た教師はエチケット袋をものすごい表情で見つめる俺を見てギョッとした表情を浮かべるとすぐさま運転士に「どこでもいいからトイレのあるところに寄ってくれ」と伝達した。

「おい、大丈夫か」

大丈夫なわけあるか。俺は教師の方を見もせずに、「最悪の場合ここに出します」と答えた。車内に緊張が走る。いつしか皆、それぞれの話を止め、俺の一挙手一投足を静かに見守っていた。しかし見守られたところでどうなるわけでもない。今にも肛門に飛び出さんとする元気な男の子の気配を異様なまでにくっきりと感じる。額には汗。顔面は蒼白。その時、窓からは白く雪化粧した富士山が見えた。それが俺の最後に見たものとなった。俺はついにズボンに手をかけ、ついでパンツの後ろ半分も下ろし、エチケット袋をあてがった。

それから先のことはよく覚えていないが、生まれ落ちてすぐ水中に入らないソレはかなり濃厚な臭いがするということと、車内の全員が祈るような面持ちでこちらを見ていたことは覚えている。

俺の中ではその時、玉音放送が流れていた。

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「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス……」


そしてバスが停まった。教師が俺に「急ごう」と言った。俺はエチケット袋の口をきつく結んでリュックに放り込み、立ち上がると同時にものすごい勢いで俺を避けて通路に飛び出したYくんを一瞥。いくぶんかスッキリした腹具合で、教師とともに小走りでトイレを目指した。

負けた。

日本は戦争に負けたんだ。

そのとき俺は泣いていた。何のための涙だったのか、今となってはもうわからない。