すなばという書き手について
※2021/10/16: 単著発売に合わせ改稿。
プロフィール
文筆家。
1991年に広島と山口の県境で生まれ6歳から東京へ移住。以後シティボーイとして成長し最近は自分で「ボーイ」と言うのをやめました(アラサーだから)。
本業は会社員です。WEBメディアの編集を3年→現在は事業会社でWEBマーケティングの仕事をしています。
Twitter:@comebackmypoem
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ご依頼・ご相談など
単著エッセイ集『さよならシティボーイ』が発売されました。
comebackmypoem.hatenadiary.com
趣味で書いているもの
趣味というのは仕事ではないという意味です。フィクション、ノンフィクション、散文、詩歌などいろいろ書いています。
ブログ
ブログ:僕の詩を返せ
主にノンフィクションの日記とかエッセイとかを書いています。
単著のエッセイ集が出ます。
2021年10月11日より、単著『さよならシティボーイ』が発売されます(先行販売イベントあり)。
このブログに書いた記事を中心に、半分くらいは未公開稿&書き下ろしです。
このブログで発表した記事についても、かなり大幅に加筆修正しております。
『さよならシティボーイ』に収録された記事については、10/8より一部を除き非公開となる予定です。ご了承ください。
小説(note)
noteでぽつぽつと発表しています。長編も執筆中です。
「あなたの頭撫でた嘘のような朝日だった」
note.mu
ミルボン×note「#美しい髪 投稿コンテスト」で入選した短編小説です。
どうしようもなくなってしまった男女と、それでも美しい世界の話です。
「君と金魚を見るということ」
note.mu
男の子が女の子とデートする話です。本郷の金魚坂をモデルに書きました。
自由律俳句
高2のときから自由律俳句を詠んでいます。今まで詠んだ句をtumblrにまとめています。
comebackmypoem.tumblr.com気に入っている句
漏れ出す音に耳をすませる
どんな夜も夜の匂いがする
誰かきたようなそよ風
鳴り止まない拍手のような雨だ
なんにもないソファーに座る
立ち止まる夜に暮らしている
ちなみに、僕と自由律俳句とのかかわりについて書いた記事もあります。
comebackmypoem.hatenadiary.com
仕事で書いたもの
お金をもらって書いたもの、依頼を受けて書いたものです。全量ではありません。随時更新していきます。
紙
さよならシティボーイ
comebackmypoem.hatenadiary.com
初の単著となるエッセイ集です。10代後半から20代にかけて書いた文章から厳選し加筆修正、さらに書き下ろしや未公開の文章を加えて構成してあります。
三十路を目前にしてできた一つの集大成であり、詳しいことは上記の記事に書いてありますのでぜひご一読ください。
エンドロール
若手男性作家7人によるアンソロジーです。僕は『席を立つとき』というエッセイ集を寄せています。
書き手として携わった初めての書籍であり、いろんな縁をもたらしてくれた、めちゃくちゃ思い入れのある一冊です。
上記リンクの公式通販から購入すると、僕と三浦希くんがエッセイを書き下ろした特典ペーパーがついてきます。
『飛ぶ教室』寄稿
www.mitsumura-tosho.co.jp
『飛ぶ教室』第57号に寄稿しました。「前号を読む」という、『飛ぶ教室』第56号の書評コーナーです。
個人的に児童文学、ことにやなせたかしには大変な思い入れがあり、児童文学の総合誌に寄稿できたのはめちゃ嬉しかったです。
4/25発売の児童文学の総合誌『飛ぶ教室』(光村図書)で、巻末に書評を書かせていただきました。それにしても豪華な執筆陣の中に並ばせてもらい恐縮です。坂内拓さん(@TakuBannai )とは『エンドロール』に続き同じ本に載れて嬉しい。特集も連載もめちゃ良いのでぜひ読んでください。@tobu_kyoshitsu pic.twitter.com/0FCWfGSp3C
— すなば (@comebackmypoem) 2019年4月24日
WEB
甲類ビール
news.mynavi.jp
マイナビニュースで甲類ビールについて書かせていただきました。甲類ビールとは、甲類焼酎をノンアルコールビールで割ったものです。美味しいんですよ、これが……。
親子の絆の深め方(タイアップ)
news.mynavi.jp
こちらもマイナビニュースですが、タイトー様のタイアップ記事です。父との少ない思い出について書きました。
終電と私
https://www.glitty.jp/2019/01/last-train-14.htmlwww.glitty.jp
GLITTYの人気連載「終電と私」に寄稿したものです。消化しきれない思い出について。
イベント登壇など
『エンドロール』トークショー&サイン会
2019/01/24(木)
HMV&BOOKS SHIBUYAにて、『エンドロール』トークショー&サイン会を行いました。
ゲストに石山蓮華さんをお迎えし、著者陣で創作についていろいろ話しました。会場は満席で楽しかった。
note.mu
(編集・西川タイジさんによる記事)
HMV&BOOKS SHIBUYA 選書・選盤
上記と関連して、HMV&BOOKS SHIBUYAにて『エンドロール』著者による選書・選盤コーナーを設けていただきました。
僕も含めた各著者の選書・選盤は以下で見られます。
note.mu
(編集・西川タイジさんによる記事)
子規庵『これからの表現』展示&トークショー
2019/05/16(木)〜2019/05/31(金)
正岡子規が晩年暮らした鶯谷の「子規庵」にて行われた展示『これからの表現』に参加しました。
8名のイラストレーターがそれぞれ描いた「子規の横顔」に、8名の文筆家が「これからの表現」についての短文を添えて掛け軸にするという展示でした。
トークショーでは文筆家7人が登壇し「これからの表現」について語りました。僕は司会進行をやらせていただきました。
子規庵の雰囲気がとにかくよかった。日本近代文学の黎明期に「これからの表現」を切り拓いた子規の庵で、背筋が伸びる思いで喋りました。
note.mu
(やはり西川タイジさんによる記事)
すきな作家さんたちが参加していたので子規庵の「これからの表現」を見にいきました。子規庵にあたらしい風がふいていました。子規の歌もすきです。 pic.twitter.com/Matjvn1vhM
— kaori kawasaki (@kaoriverss) 2019年5月29日
以上がすなばというライターのやっていることです。あとはTwitterを見てください。
最後に、この記事をご覧になっている方にメッセージを。
■文を読んでくださっている方へ
本当にありがとうございます。どんなに小さなリアクションも、すべて励みになっています。
感想には全て目を通させていただいています。
これからもどうぞ、インディーズバンドを応援するような感じで見守っていただけると嬉しいです。
■編集・メディア関係の方へ
文章を書く仕事はいつでもお待ちしております。元は編集者ですので何でも書けますが、エッセイや文芸寄りの文章が得意です。
本業は会社員のため、取材やインタビュー、ロケハンが発生するお仕事については日程の調整をさせていただきます。まずはお気軽にお声がけいただけると嬉しいです。
【ご依頼はこちら】
ご依頼・ご相談など
眠る前の話
何かやり残したことがあるような気がして眠る気になれないのに、体が勝手に非生産的なことを始める。漫然とスマホをもてあそぶ。文庫本を開いてろくに読まないまま机に置く。ソファの上であぐらをかいたり足を下ろしたりする。音楽を聞きたくなってスピーカーから流してみるけど、すぐにうるさく感じて止めてしまう。
夜は川だ。一秒ごとにじりじりと朝に向かって流れていく。川底の淀みの中にいる微生物のように、僕たちもその流れから逃れることはできない。
本記事は加筆修正のうえ『さよならシティボーイ』に収録されています。WEBでの公開は停止しております。
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筆者: すなば
→Twitterアカウント
傷つけられた人へ
誰かのしたことでちょっと傷つくことがあった。
それを猛烈に批判する意見をTwitterで見かけ、ついその意見に乗っかって、傷つけられた悲しみを呟いて怒りを表明しそうになった。が、すんでのところで僕はそれをこらえた。地下鉄に揺られながら、何度も何度もツイートを書いたり消したりしていた。
駅を降りて少し歩き、自分を説得するようにこのようなツイートをした。
愛や祈りがそうであるように怒りや暴力も遍在しているので、不意に傷つけられても歩く方向を変えてはいけない。怒りや暴力に歩み寄るべきではない。
— すなば (@comebackmypoem) 2018年8月7日
自分を傷つけたものや不正義だと感じたものに対して、僕たちは怒っていい。怒りをおさえる必要はどこにもない。
でも、自分を傷つけるものは遍在している。
そこに悪意のあるなしは関係なく、暴力も悲しみも怒りも、そこかしこに存在している。自分に触れて傷つけるものも当然、ある。
何かに傷つけられて、その反応として怒るということは、自分を傷つけた"何か"に引き寄せられているということだ。絶対にそれが必要な時もある。全力で殴って拳を痛めないといけない瞬間もある。
でも僕たちは、本当は歩くべき道があるはずで、歩いていた道があるはずなのだ。何かに傷つけられて怒る時、僕たちはその道をはみ出して、足を踏み込んで、自分を傷つけたものを睨めつけている。
だから、自分の怒りを僕たちは飼い慣らさなければいけない。
◇
僕たちが本当にやるべきことは、特定の誰かや何かに対して怒ることではなくて、ただ自分が本当だと思うことや、善いと思うことや、美しいと思うことを突き詰めていくことだ。手を差し伸べられる人に差し伸べることだ。怒りや暴力と同じように遍在している愛や祈りについて注意深くあることだ。
自分を傷つけるものや、自分の大切な人やものを侮辱するものや、あらゆる不正義を、安穏と見過ごせというのでも知らぬふりをして平静を装って生きろというのでもない。むしろ徹底的に戦わないといけない。生きるとは絶望的なまでに終わらない戦いだ。
〈反発〉の原理による命のやりとりは、どこまでいっても先の見えない、相対的な勝ち負けしかもたらしません。そこでは、ちょっとした偶然がすべてを決めてしまう場合が、何と多いことでしょう。このことは、戦場往来に明け暮れていた武士たちほど身に沁みて知っていたに違いありません。この相対性と偶然性の泥沼の向こう側に、彼らが望んでやまなかった兵法の理想がある。
…
〈反発〉を消して、相手の動きとひとつになるところでは、普通の意味での勝敗もまた消えます。ここでは、対手との間に自分が求めるひとつの世界を誤りなく創り出すことが、〈勝つ〉ことになります。
『剣の法』は十六世紀に生まれた剣術「新陰流」の術理を詳述した本だが、引用した章では「反発の原理から脱け出す」ことがこの兵法の理想であることを説いている。相手の動きに逆らって自分の動きを押し通すのではなく、相手の動きの中に自分の動きを影のごとく潜ませる。すると相手が斬る動作を終えた頃には、逆に相手が自分に斬られている。
「傷つけられたから怒る」「不正義を糾弾する」。これらはいずれも圧倒的に正しい。人間として正しい。でも、正しいことが常に勝てるわけではない。勝つ、とは相手を負かすことではない。自分の求める世界をそこに創ることなのだ。
不正義や暴力や怒りや悲しみが抗し得ない世界を創り出す。そのための営みこそが戦いで、僕たちが歩くべき道だ。"世界を創り出す"とは、世界平和みたいなことを言っているのではなく、ただ自分にとっての完璧さを目指すということだ。握りしめた拳を歯噛みしながら解いて、創るための営為をしなければいけない。
"反発"としての怒りは、燃え上がりやすく、瞬発的で、誘爆しやすい。怒りは怒りを呼び、その怒りが大きなうねりになって世の中を変えたことはあった。差し迫った命の危機に、"反発"としての怒りはその是非を問うまでもなく必要だ。
でも僕たちが普段戦わなければいけないのは、日常の中にほとんど埋没した理不尽や、自分以外には気づかない暴力や、耳触りのいい悪意、もっともらしい嘘といったもので、それは巧妙な擬態で怒りをかわす。怒りは、小さく刺すような不正義に対して意味を持てない。だから過たず歩くのだ。祈るように創るのだ。
◇
このようなことを考える時、僕はいつも雨に打たれる人を思い浮かべる。雨に怒り、空に拳をふりかざすことではなくて、木を切って集め、柱を立て、屋根を作り、その下で雨について考えることが戦うということであって、生きるということではないだろうか。
あなたが誰かに(あるいは何かに)怒りを覚えたとして、それをためらう必要はない。でもその怒りの炎は敵を焼き殺すためではなくて、あなたの大切な人を暖めたり、行く道を照らしたり、何か大きな力を生むものを動かしたりするために使ってほしいと思う。
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筆者: すなば
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