サンドイッチとロックアイスを入れたアイスコーヒー

「都心真夏日か」と明るいニュースに彩られた穏やかな日曜日の昼食にふさわしいのはサンドイッチとロックアイスを入れたアイスコーヒー以外にはあり得ない。この結論は起床から15分で出た。窓を開け放ち軽く床を掃除して洗濯機を回しシャワーを浴びてパンツ1枚でソファに座り汗の噴き出す裸体をサーキュレーターの風で乾かしながら、僕はamazonの定期お得便で配達されるクイックルワイパーウェットシートの到着を待っていた。

窓の外からは子供のはしゃぐ声がする。

東京23区の中でも文京区という街はとにかく学校が多く、したがって学生も多い。声変わり前の小学生がキャッキャと遊んでいるのかと思ったら、漏れ聞こえる会話の内容からしてどうやら女子中学生か高校生のようだ。たぶん部活終わりなのだろう。「でもアイリ先輩は絶対怒ってたし先生も注意しないとかマジあり得ない」「なんでアイスじゃだめだったんだろうね」なんて話をしている。なんで、アイスじゃ、だめだったんだろうね。なんでアイスじゃだめだったんだろう。僕はぼんやりと記憶の中に意識を泳がせてみたが、なんでアイスじゃだめだったんだろうと思うようなシーンは今までの人生になかった。僕が25年間出くわすことができなかった場面に遭遇できた彼女たちが少しうらやましくなる。

一昨日までの地方取材で撮った写真をLightroomで現像しながら、僕はロックアイスを入れたアイスコーヒーとサンドイッチのことを考えていた。近所には評判のパン屋があるけど、日曜日は閉まっている。コンビニかスーパーにいこう、と思った。暑いし自転車でいこう。そういえば2週間ほど自転車のタイヤに空気を入れていない。冬のボーナスで自転車を買ったとき、「2週間に1度は空気を入れてくださいね」と僕に言ったロン毛のお兄さんの顔が川面を漂う花弁のように流れていった。空気を入れよう。空気を入れたら、財布を肩掛けのエコバッグに入れて自転車で買い物に行くんだ。サンドイッチとロックアイスを入れたアイスコーヒー。

全てのスイッチはamazonの定期お得便で配達されるクイックルワイパーウェットシートなのだった。それを受け取った瞬間、僕の日曜日が始まる。あっけらかんとした青空の下、咲いたばかりの芍薬の切り花のそば、青い布張りのソファの上で僕はその時をじっと待っていた。

果たしてチャイムが鳴ったとき、僕は自分が半裸であることに気が付いた。

立ち上がってクローゼットを開け、3段に積んである無印良品の引き出しボックスの一番上と一番下を開けて目についたTシャツとズボンを身に着け、わざと大きな音を立てながら玄関に向かって(配達員にアピールするためだ)ドアを開けた。ジャックラッセルテリアみたいな顔の、日に焼けたクロネコヤマトの配達員が小包を持って僕を見つめていた。手早くサインをして僕はその箱を受け取った。「ありがとうございます」。部屋に戻って開封する。1包のクイックルワイパーウェットシートがずっしりと入っている。空気の詰まった梱包材を指で引き裂いて「ぱふう」と鳴らしながら玄関のそばのゴミ箱をフットペダルで開けた。1週間前に捨てたレトルトカレーのパックのカレー臭がまだ残っている。

日曜日が始まった。特に野球ファンではない友人が特に野球ファンではない僕にニューヨーク土産にくれたニューヨークヤンキースの黒いキャップをかぶりOLIVER PEOPLESのサングラスをつけて肩掛けのエコバッグに財布を入れた。日曜日が始まったのだ。勇んで玄関を出た僕はある重大なことを思い出した。自転車のタイヤに空気を入れてない。

やむなくキャップとサングラスはいったんキャストオフすることとなり、つっかけ代わりに使っている茶色のデッキシューズを履き、靴箱の上で横になっている空気入れを持って僕はアパートの階段を下った。駐輪場にたたずむ華奢な青い自転車は、もうずっと前から僕がこうしてやってくるのを待っていたように見えた。サドルを優しく撫でてやりたい欲求をこらえながらロックを開錠し駐輪場から引きずり出して、タイヤのバルブのキャップを外し、指でぷしゅっとやってから空気を入れる。押し引きのたびに抵抗の重くなるハンドルと戯れていると、空気圧のメーターの針がためらいがちに「7」を指した。ぐっと力を入れて口金を離す。プシューーーーーーーーーー。

日曜日が始まった。

部屋に戻って空気入れを下駄箱の上に戻し(背伸びをしたときふくらはぎをつりそうになった)、キャップとサングラスを再度装着してエコバッグを肩にかけ僕は愛車にまたがった。足がつくかつかないかの高さに調整したサドルに尻をおろすと、自然と前傾姿勢になる。最初はその不安定さに閉口したが、今はもうママチャリには戻れそうにない。アパートから飛び出すと、むき出しにした両腕と首筋に夏が襲いかかった。体の両端から走って首の後ろで渦を巻くような日差しの熱気。これに半分水につかったようなどうしようもない湿気が加わるのが日本の夏だ。息を吸って道幅の広い上り坂を駆け上った。路上駐車しているタクシーの運転席で、40歳くらいの色黒の男が大口を開けて眠っているのが見えた。

何も考えず走っていたら最寄り駅に向かう道に乗っていたので、そのまま駅前のスーパーで用を成すことにした。駐輪場の街灯の柱にワイヤーをくくりつけるようにして自転車をロックする。スーパーに入り、飲料のコーナーを物色すると無糖のミカドコーヒーのパックがあった。大手メーカーの4倍の値段がするやつだがこれ以上の役者はいない。迷わず買い物かごに入れて総菜コーナーに向かう。サンドイッチはいくつかあったが何よりマイセンのカツサンドに惹かれた。6切れ入りと3切れ入りがあり、逡巡すること5分、3切れ入りを買い物かごに入れその惰力でてりやきサンドだかベーコンサンドだかいろいろ入った総菜のサンドイッチパックを手に取る。

満足してレジに向かいながら僕はサンドイッチとロックアイスを入れたアイスコーヒーのことを想っていた。

あ、ロックアイス。

いったん並んだレジの列を離脱して冷凍棚に前に立ったがどこにもロックアイスの姿は求めようもなく、冷凍食品やらアイスクリームの箱やら種々雑多な冷たいものが並ぶケースの前のいったりきたりして僕は「う~む」とほかの人に聞こえないくらいの音量でうなってみた。うなったところでロックアイスが現れるわけでもない。酒類の棚、肉の棚、鮮魚の棚、およそ冷えた食品が置いてありそうなコーナーは大体巡ってみたがどこにもない。このスーパーにロックアイスはないのかもしれない。あるいは、今年で初めての真夏日をもたらした熱波の前に完売してしまったのかもしれない。

一軒隣にコンビニもあるのだからロックアイスはそこで買えばいい。僕は思い直してレジに並んだ。前に並んでいたのは部活中と思しきスポーツウェアの女子高生2人組だ。どうも今日はこの手の女子学生が多い。近くで何かの大会があったのかもしれないな、などと思いながら会計の順番を待っているとその女子高生がカウンターに置いた買い物かごには2kgのロックアイスが入っていた。それどこにあったの?

本気でそう聞こうかと思って2秒くらいモジモジしていたがなんとかおしとどめ、慣れた手つきでバーコードを読み取られるロックアイスを僕は見ていた。2人の女子高生は「さっきのアイス買っとけばよかった」「でもすぐ溶けちゃうよ」などと話しておりこう暑いと猫も杓子も氷のことしか考えられなくなるらしい。

「実習中」の腕章をつけた男性が会計のついでに袋詰めも済ませてくれて、僕はスーパーを出た。すぐに隣のコンビニに入り、ロックアイスを探し出して購入する。「このままでいいです」と言うとレジの男性店員は「ありがとうございますね」と言った。ありがとうございますね? ビニールのパックにシールが貼られてレシートが手渡される。「ありがとうございましたー」とマニュアル通りのあいさつに送られて僕は店を出た。「ありがとうございますね」。店員の言ったこの言葉を口の中でもごもご反芻しながら僕はスーパーの駐輪場にいる自転車を迎えに行った。

肩掛けのエコバッグは1kgのアイスコーヒーと1.5kgのロックアイスとついでに買った午後の紅茶無糖の2Lペットボトル、そして財布とサンドイッチでパンパンに膨れ上がり、子泣きじじいのごとく重かった。自転車のロックを解除してよっとまたがる。ペダルをこぎながら僕は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という徳川家康が言ったとか言ってないとか言われている言葉を思い出していた。今度は下りになった坂道を転がるように駆け下り、水中のゴミが排水口に吸い込まれるようにアパートの駐輪場へと入っていった。

部屋についた僕は、サングラスを棚の上に、岩のようなエコバッグを床に置き、キャップを脱いでクローゼットに貼りつけたフックにかけて洗面所で手を洗った。その足で台所の棚から湯呑みをとり、ロックアイスを入れてミカドコーヒーを注ぐ。ロックアイスを冷凍庫にしまってランチョンマットを広げマイセンのカツサンドと総菜のサンドイッチパックを置いた。日曜日は始まったばかりだ。