BUMP OF CHICKENについて語るときに僕の語ること

僕くらいの歳の人間がBUMP OF CHICKENについて語り始めるときの、あの初恋を思い出す老人のような声の震えは何なのだろう。

BUMP OF CHICKENとの出会いは人それぞれあるものの、当時流行っていたFLASHムービーで『ガラスのブルース』『K』『ダンデライオン』『ラフメイカー』『ダイヤモンド』あたりからハマっていった人はけっこう多いんじゃないだろうか。僕はそうだ。当時小4だった。楽天のチャット(※当時楽天は簡単に個人ホームページを作れるプラットフォームを提供していた。チャットはそのパーツの1つ)で知り合った北海道に住んでいるという小6の女の子(だったはずだ)と夜更けまで語り合った。『ダンデライオン』がタンポポの英名であることについて、『K』がKNIGHTのKであることについて。

00年代初頭にインターネットをやっている小中学生なんて頭でっかちの根暗ばかりに決まっていて、その感受性は初期のBUMPの世界観にドハマりしていた。当時はBUMPが『天体観測』で勢いづいて間もないころだったと思うが、同級生でバンドサウンドを聴いている人は全然いなくて、自分だけが知っている宝物を愛でるような気持ちで、ADSL回線で毎日FLASHを再生していた。BUMPと僕の蜜月はロケットスタートを切ったと言っていい。

以降、僕の青春は常にBUMP OF CHICKENと共にあった。この記事で書いた『プラネタリウム』もそうだが、『オンリーロンリーグローリー』から『COSMONAUT』までは、決まって発売日前日の夜にCDショップに走り、フライングゲットして聴いていた。逆に言えば、僕とBUMP OF CHICKENとの関係性は『COSMONAUT』以前と以後で決定的に何かが変わっている。ただし、特に『COSMONAUT』の楽曲群にその原因があるわけではない。

僕に彼女ができたのだ。

BUMP OF CHICKENも2010年となると名実ともにかなり有力なバンドになっており、インターネットはもはや根暗の楽園ではなくなって、大学生になって広がってしまった僕の世界で、彼らの音楽を"自分だけの宝物"として愛で続けることにある種の歪みが生じていた。今までの偏愛の方が歪んでいたといえば歪んでいたが、僕の音楽観がBUMP OF CHICKENから出発している以上、その愛を否定することはできない。フジファブリックメレンゲセカイイチくるりandymori……、成長とともにいろいろなバンドが僕のiPod classicに仲間入りし、BUMP OF CHICKENはその唯一性を薄めていく。

そこに彼女なんかできちゃったものだから、僕の中のBUMP OF CHICKENはますますその生息域を狭めることとなった。そうだ。僕の中にはかつてBUMP OF CHICKENしかなかったのだ。全ての物語、全てのメッセージ、全ての恋、全ての青春がBUMP OF CHICKENのみによって肯定されていた。でも歳を重ねるにつれ、それらがいた場所にはもっと別の"ふさわしい何か"が置き換わろうとしてくる。彼女ができて、愛とか恋は『スノースマイル』や『とっておきの唄』の中だけの出来事じゃなくなった。『才悩人応援歌』に励まされなくても、自分より文章のうまい相手と向き合えるようになった。

森見登美彦、尾崎放哉、梅崎春生サリンジャーガス・ヴァン・サント園子温、エマニュエル・ボーヴ、ピナ・バウシュ……バンドだけじゃない、たくさんのアーティストと出会って、相対的に、そして必然的に、BUMP OF CHICKENの陰は薄くなってしまって、僕はその事実自体に裏切りの罪悪感のようなものを感じていた。

カラオケで誰かが『天体観測』を歌うたび、喧嘩別れした友達と同窓会の会場でふいにすれ違ってしまうような、気まずい思いを勝手にしていた。あの時の気持ちは何だったのだろう。いや、正直に言うと、今もちょっとそんな気持ちがしながらこの文章を書いている。でも今また僕がBUMP OF CHICKENのことを語ろうとしたのには2つ理由がある。

1つはこの記事を読んだからだ。

shiomilp.hateblo.jp

実は、あれほど信奉していたBUMP OF CHICKENのライブには、僕も行ったことがない。潮見惣右介氏もそうだったという。

ずっとイヤホンの中で鳴っているだけで十分だったのだけど、一度くらいは神様の存在を見ておこうと思い、十数年越しの片思いを抜けて、今回初めて神様に会いにいった。

この記事は各自読んでおいてもらうとして、もう1つの理由は『記念撮影』を聴いたからだ。NISSINのCM「アオハルかよ。」シリーズのタイアップ曲である。

今はBUMP OF CHICKENのCDは買ったり買わなかったりだけど、曲は聴いている。("CDは買わないこともあるけど曲はチェックする"というくらいの付き合い方が、やっとできるようになったとも言える)。この曲も前情報は知っていたが、「アオハルかよ。」がちょっと炎上したのもあって本腰を入れては聴いていなかった。先週末、台風で外出する気を削り倒され、YOUTUBEで動画巡りを開始するまでは。


ねぇ きっと 迷子のままでも大丈夫

僕らはどこへでもいけると思う

君は知っていた 僕も気付いていた 終わる魔法の中にいた事


『終わる魔法の中』。


ちょっと自分でも信じられないのだが、僕は台風の吹き荒れる中、アパートの中で、ソファの上で、PCの前で、泣いてしまっていた。初めて「ライフ・イズ・ビューティフル」を観た時くらい泣いた。理由の分からない涙だった。

自分のようなファン(?)のために書かれた曲じゃないなんてことは分かっているけど、それは止められない感情の奔流だった。こんなに好きだったのかと驚いた。まだこんなにも僕の心を支配しているのかと思った。でも違うんだよな。僕は結局BUMP OF CHICKENでできちゃってるんだよな。

僕はたぶんこれからもBUMPのライブには行かないかもしれないし、友達に誘われてホイッと行くかもしれない。ミュージックステーションに出るときも録画しないかもしれない。映画のタイアップが決まっても観に行かないかもしれない(ガッチャマンは観てない)

それでもBUMP OF CHICKENを好きでいていいんですかね。多分いいんだと思う。また語ろう。この震える声で。