人が死ぬということ

大杉漣の訃報をニュース速報としてスマートフォンが受信したとき、僕は人のまばらなオフィスで残業をしていた。

デスクでひとり控えめに驚いて、区切りのいいところまで仕事を進めて退社し、成城石井で夕飯を買って家に帰って食べた。シャワーを浴びて歯を磨いて寝た。

翌朝は早く目が覚めて、ゆっくりと準備をして家を出ることができた。ぱらぱらと雨が降っている——と思ったら、コートに付着したのは白い氷の粒だ。雪が混じっていた。

駅への道を歩きながら、ある言葉が僕の頭の中に去来した。

「死とは、その人と二度と会えなくなること。それ以上でも以下でもない」

うろ覚えのセリフだけど、配偶者を亡くした俳優(男性か女性かも定かでない)が新聞か何かのインタビューでこう答えていたという記憶が、深いところにこびりついていた。(調べたところ、この言葉の出所は作家の伊集院静が『伊集院静の流儀』で語ったことが元のようだ。それを読んだ俳優のインタビューだったのかもしれない)

大杉漣の熱烈なファンだったわけではないが、こんな時はどうしても死について考えてしまう。

本記事は加筆修正のうえ『さよならシティボーイ』に収録されています。WEBでの公開は停止しております。

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筆者: すなば
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