春がすぎれば

朝起きてシャワーを浴び自転車の手入れをして、スーパーマーケットに出かけて買い物をしてそれからずっと家にいた。映画を見て料理をして掃除をしても時間は余る。文章を書こうとするが、どれもこれも自分が書くべき文章のように思えず消してしまう。

部屋の窓からは桜の木が見える。満開の桜は、咲き飽きたようにせいせいと風に散ってゆく。渡り鳥の群れのように飛翔する花弁のうちのいくつかが、ベランダに降り立って沈黙する。過ぎる季節は見送るほかない。いやにじりじりと春が去っていく。

実際のところ、自分たちの身に何が起きているのか分かっている人のほうが少ないんじゃないだろうか。分かっているのは、いくつかの事実だけだ。それはニュースであったり、自分自身が現に家の中で時間を持て余していることであったりする。

ルールのわからないゲームに参加してしまったような気分だ。どうすれば勝ちなのか、いつまで続くのか、そもそも勝敗なんてあるのか、終えたときには何を得られるのか……。

でも考えてみれば、これは人間の生活そのものでもある。皆、生まれたときからわけのわからないゲームに参加している。誰かが「勝った」と叫べばその人が勝ったようにも思えるが、「あいつは負けだよ」と誰かが言えばたしかに負けたようにも思える。ようするに、勝つも負けるもないのだ。投げたコインが裏か表か、その結果を皆がそれぞれ解釈しているだけだ。

いま一つ確かなことは、桜が散っているということ。それだけのように思える。桜が全て散ったら、緑が美しい季節がきてほしい。その次は雨のなか紫陽花が咲いて、やがてぎらぎらと青い夏の空になってほしい。今、それくらいなら信じられる。