記事を3つ書く間に彼女ができた

タイトルが全てなのだがそういうことになった。

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この記事を書いたときの僕はまぁ一応それなりに落ち込んでおり、それなりに反省することもあり、そしてそれなりに疲れていたのだが当時の自分にはそれが気づけなかったみたいだ。散財して新しい服を買うことは、昆虫や爬虫類の脱皮に似ている。新しい服を着ることは古い服を脱ぐことだからだ。彼女が褒めた服、彼女を喜ばせた服、彼女のために着た服。

新しい服を着た僕がどうしたかと言うと、上の記事に書いてあるとおり合コンに行った。そして今の彼女と出会った。もっとも、その時着ていた服はKITSUNEじゃなかったけど。よく覚えてないがグレーのシャツの上に5年前買った福袋に入っていた黒いデニムジャケットを着ていたような気がする。

彼女と僕は付き合って間もない(マジで間もない)が最近聞いた話では、どうやら僕との関係を進展させることを彼女は友人たちから反対されていたらしい。曰く、「すなばさんは絶対遊んでるからやめといたほうがいいよ。絶対浮気するから」と。

その原因は彼女と出会った合コンにあった。合コンという場は、呼び方が嫌ならお食事会でもなんでもいいのだが、男女が少なからぬ期待を持ち貴重な時間を割き節約すれば数日間は暮らせるくらいの金銭を投資して集う場所だ。僕は基本的に、自身を貶めるようなことをされない限りは他人に対して最大限の敬意を払うようにしている。したがって合コンの場にあっては、「どんなに自分が興味を持てない女性でも、最低でもこの場を楽しんで帰ってもらう」ということは自分に対して課している。それが合コンに女性を呼び立てた男の責任というもので、この責任は受発注側のどちらであっても男全員が負うべきであり、ついでに言えば女性にもそのマインドは持ってほしいと思っている。

とはいえこれは僕が勝手に持っている美学なので人に強制するのはよくない。だから男性メンバーに「どんな[censored]がきても絶対に盛り上げて帰ろうな」などと言ったことはなくその日も言わなかった。この日は3:3の会だった。そして僕以外の2人――銀行員のA氏とインフラ系会社員のB氏――は、あまり会話をリードするタイプではなかった。

合コンにおいて全力で避けるべき事態は着席直後10分間に起こる沈黙であり、ここさえ乗り越えればあとは惰力でなんとか場が回る。僕は滔々とおもしろい話ができるわけでも底抜けの明るいノリを持っているわけでもなかったから、当たり障りのない話題で会話の口火を切って質問をし適度に相槌を打ちリアクションをしながら両脇の男性陣に話を振っていくというオーソドックスなMCスタイルで和やかに会を進行させていたつもりだった。つもりだったのだがこれがまずかった。

蓋を開けてみれば、その合コンで一番人気だったのは銀行員のA氏だった(これは後に彼女から聞いた話だ)。理由を聞いてみると「浮気しなそう」「優しそう」「まじめそう」だからとのことだ。B氏と僕の評価はどっこいどっこいで要するにその会は「A氏が当たりで他はスカ」というのが女性陣の総合評価だったようである。

で、一生懸命に会話を回していた僕はと言うと「なんかチャラそう」「遊んでそう」「浮気しそう」という評価だったらしい。僕はこの話を聞いたとき本当に驚いてしばし言葉を失った。普段の仲間内や合コンではむしろ僕は「おとなしい」「文学青年」「落ち着いている」「オタク」などと言われる方だったからだ。

この時僕は「合コンの相対性」という概念に思い至った。

僕は普段、編集者として働いているため、必然的に飲み会や合コンもメディアに近しい業界の従業者や、その界隈の男性たちとの会合に慣れた女性と行うことが多い。

生き馬の目を抜くマスコミ業界において僕の会話を回すスキルなど蚊の馬力に等しく、広告代理店やテレビ局、外資系保険会社の営業、証券マン、商社マンなどは別次元のコミュニケーション力というか強引さというか"パワー"としか表現のしようのない何かを持っており、そのパワーに日々さらされ続ける女性たちも相応の耐性を獲得していた。そんな中で僕のような人材は「根暗なクリエイティブ職」に位置しており、それでもその根暗さというか良く言えば思慮深そうな雰囲気に興味を持ってくれる女性はいる。そうしてパワー系との差別化を図りつつ互助関係を築きながら共存共栄の道を探っていた。

しかし、戦場が変われば戦い方も変わる。

僕を件の合コンに招いてくれたのはインフラ系のB氏(大学時代の同級生)であるが、女性側の幹事とは埼玉の街コンで知り合ったらしい。女性側の幹事の職業は地元の中小企業の一般職だった。そこで僕は思い至るべきだったのだ。常住坐臥自信満々にコミュ力とステータスで殴りあっている男女の合コンとこの合コンとを同一視するべきではない、ということに。

たぶん、その場にいた女性陣は、パワー系の連中に口説かれたことがない。ゆえに、その合コンを支配するのはパワーの論理ではない(※"パワー"とは単純な腕力のことではもちろんなく、「社会的地位」「経済力」「将来性」「交友関係」などもろもろの指標を指す。簡単に言うと中高とクラスの人気者で早慶東大一橋あたりの国内トップクラスの大学に入りそのまま大企業に入社みたいな分かりやすいエリートコースを歩んでいる奴らの中でも女性関係に積極的にコミットする者が主にパワー系に分類される)

パワーの論理なき合コンでは、代わりに「無害さ」「優しさ」が評価指標となっていた。いかに経済的リスクがなく、扱いやすく、自分を傷つける恐れがないか。それらを加味した上で初めて、「好きなタイプ」という概念が表出してくる。

いかに和やかであろうとも、「会話を回す」という行為自体が彼女たちからしたら嘘くさく、リスクの高い男のすることなのだろう。もっと言えば、「会話」は「回す」ものという発想そのものがチャラチャラした遊び人の世界の話でしかないのだろうと思った。ゆえに「遊んでる」「絶対に浮気する」という連想が僕に対しても成り立つ(この「遊んでる」とか「浮気する」とかの発言については思うところあるので別の機会に書く)

たぶんあの合コンの正解は「みんなで巨峰サワーを飲みながら子供のころ行った動物園の思い出話をする」とかそういうものであったはずだ。在りし日の教室内で自然発生していたような会話をするべきだったのだ。その延長線上に彼女たちの幸せはあるのだろう。

このように、合コンにおける力関係や評価指標が参加者の属性によって変わることを「合コンの相対性」という。

そんな合コンで出会ったにもかかわらず僕を選んでくれた彼女は、言葉少なで会の最中もあまり会話を交わさなかった。でも「おもしろいからまた会いたいと思った」のだそうだ。

そして改めて2人で会ったとき、あまりに僕がしゃべらないので驚かれた。その場には僕と彼女しかおらず他に楽しませるべき人もいないので自然なことだ。彼女が沈黙を苦にするタイプでないことはわかっていたし、だから僕も彼女に惹かれた。「普段はこうなんだよ」と言って、彼女が「そうなんですか」と返事をし、その後また3分くらい黙る。思い出したようにどちらかがとりとめのないことを聞く(昨日何時に寝たんですかとか)。それを繰り返していくうちに、気づけば何度も会っていた。僕が思いを伝え、彼女は5日ほど考えてぽつりと返事をくれた。

彼女がなぜ僕を選んだのか、僕はまだ知らない。


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筆者: すなば
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