立ち上がると足が震えるほどテレビゲームをやって、エコバッグに財布だけ入れてアパートの外階段を下り自転車にまたがった。
暮れかかった空は薄青く、その色を写し取ったような涼気が辺りを満たしていた。
水彩画のような空に浮かぶ月を見た。満月に少し足りないその月は、空を満たす心地よい液体の海からゆっくりと浮上しつつその姿を現しているように見えた。
少し離れたセブンイレブンで蒙古タンメンのカップ麺を3個買った僕は、坂道を自転車で駆け下りながらまたその月を見た。
風は渦を巻きつつ僕の後方へ流れ、坂の下で自転車を止めると空気もまた水面のように静止した。
イヤホンを着けた太った男性と並んで信号を待っている間、僕は「大丈夫になった」と小さくつぶやいた。
◇
美しいものを眼前にしたとき、「大丈夫な時」と「そうでない時」がある。
今日みたいに良い月が出ていて、涼しくて過ごしやすい絵画のような夕方に一人でいると、大体今までは「大丈夫」じゃなかった。
一年に何度もない澄んだ空気を分かち合う人がいないことが寂しいのか、これといったことをせずに天気に祝福された日を過ごしたことが悔しいのか、全然わからないがとにかくひどく不安になり、心が動揺するのが常だった。
そんな時は、やむに已まれず当てつけのように風呂に入ったり、テレビを見たりして時間が過ぎるのを待った。
でも、今日、僕はついに「あ、大丈夫だな」と思うことができた。
自転車で坂を駆け下りながら月を見たとき、その月を「海に浸かっているみたいだ」と思った時、心の中に僕は僕だけが腰かけているのを確かに感じ取ることができた。
薄暮の世界は青ざめて美しく、辺りのマンションの外廊下やエントランスにオレンジ色の明かりが点々と灯って、わずかに赤みを帯びた薄い雲と呼び合っているようだった。くねくねと踊りながら父のそばを歩く小さな男の子や、手をつないでつまらなそうな顔をして歩くカップルや、ワンピースを着た細身の中年女性が完璧な空の下を行き交っていた。
なんで大丈夫になったのか分からない。この瞬間を待ちわびていたわけでもなかった。明日にはもう大丈夫ではなくなっているかもしれない。
でも、今日のこの気持ちを覚えている限りは、僕はまだ生きていけるのだと思った。
◇
大学4年生のとき、卒業直前に一人で京都にいった。その時つけていた旅行記の、最終日にこんなことが書いてあった。
もろもろの現実が近づいてくる。万物には引力があり、現実の引力が嫌で俺は京都に逃げてきた。それがこの旅の始まりだったが、もう大丈夫だ。俺は自分で自分を幸せにすることができた。現実も、人生も、人間関係の煩わしさも、正面から抱擁してやろう。俺は精神の支柱を手に入れた。それは京都の山深い森の中に埋れていた。裏通りの地下にあるバーに、橋の上から見た夕焼けに、飛ばなかった風船の中に、俺は自分を生かしていくための場所を見つけた。掛け値なしの幸福を、覚えているうちには何があっても大丈夫だ。どんな敵とも戦える。
思うに、人生には(本当に数えるほど)何度かこういう日があって、そのたびに「生きていける」と思い直しながら人は生活を続けていくのだろう。ただ一人きり、自分以外には分けようのない日々を。
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筆者: すなば
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