チリはたまる、心は散らかる

在宅勤務が中心の生活になると、家事をよくするようになる。ここ一年間で急激に起きた生活の変化のうち、数少ない良かったことのひとつだ。

ひとり暮らしを始めたのは二十三の頃だった。実家も勤め先も都内で生活に不便はなかったが、昔からひとり暮らしというものに憧れを抱いていて、入社二年目の秋になけなしの賞与を元手に引っ越したのだ。又吉直樹が『火花』で芥川賞を受賞する直前のことだった。

その年の夏、僕は『芸人と俳人』という本を読んだ。又吉直樹俳人・堀本裕樹に俳句を教わっていくという内容だ。一四九ページ目で上田五千石の「秋の雲立志伝みな家を捨つ」という句が紹介されていた。又吉直樹が鑑賞して曰く、「『立志伝みな家を捨つ』というのは、その通りやと思います。実家暮らしで大成功した人って、あまり聞かないですもんね(笑)」。秋までに引っ越してやろうと思った。

実は、自分の住処をまともに掃除するようになったのもひとり暮らしを始めてからなのだ。もともと一人で暮らすのが性に合っていたらしく、家具を揃えるのも床を磨くのも楽しかった。実家の子ども部屋に住んでいたとき、特に高校生になってから感じていた居心地の悪さは、たぶん「誰かに生かされている」自分を歯がゆく思う卑近な自意識に根ざしてたのだろう。親に買い揃えてもらった物で囲まれた部屋を、僕はほとんど手入れしなかった。する気も起きなかった。仮住まいだと思っていたのだ(生意気にも)。そんな僕が生まれてはじめて自分の給料で借りた部屋は驚くほど心地よく、愛しく思えた。週末に部屋中を掃除する習慣ができた。

今も掃除はまめにする方だし、冒頭で触れたとおり、家事に割ける時間も増えたので部屋はよく片付いている。でも室内で過ごす時間が増えたので、なんだか床が汚れていくのが以前よりも早い。髪の毛や、埃や、なんだかわからない砂粒のようなもの(全部まとめてチリと呼ぼう)が裸足で歩き回る足裏にくっついてくるのだ。床面積に対してチリの散在量が増えていくほど、足裏がチリをキャッチする頻度が上がる。そうしてだんだんチリが溜まって、大体木~金曜日くらいに足裏で感じ始める床の汚れを、今は水曜日くらいには感じ取るようになってきている。

話は変わるが、「部屋の汚れは心の汚れ」という言葉がある。僕の嫌いな言葉のひとつだが、なぜ嫌いかと言えば微妙に的を射ているからだ。ただし「汚れ」という言い方は正確ではないように思う。「部屋は散らかる、心も散らかる」くらいならまだ分かる。放っておけば部屋というのは散らかっていくものだ。リモコンは勝手にホルダーには入っていかないが、気づけばベッドの下にいることはある。物の移動距離は同じでも、片付くより散らかる方がずっと自然に起こりやすい。エントロピー増大の法則である。だからこそ僕はそれに抗う。しかし日に日にチリは溜まっていき、ある日足裏を襲撃する。心だって同じだ。誰も汚しているわけではない。ただ自然のなりゆきとして、散らかってゆくのだ。

心にたまったチリを人はどうしているのだろう。歩くたび足裏を苛むチリを。こまめに掃除をしているのだろうか。実家の母親のごとく、放っておけば誰かが片付けに来てくれるのだろうか。掃除をきちんとするためにはやっぱり、部屋を愛するかごとく自分の心を愛することが必要なのだろうか。少なくとも、心を自分のものと思えていないと厳しい気がする。他人のものになってしまうこともあるけど(恋とか)。

掃除のコツがあるとすれば、とにかく考えずにやり始めることだ。心についても同じ気がする。考えずに拭き取ってしまうことだ。やっても、やらなくても、どちらにしても来週末にはまた散らかっているのだから。

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筆者: すなば
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