この一年何をしていたか - 『さよならシティボーイ』刊行一周年に寄せて

 2022年10月8日、『さよならシティボーイ』が刊行から一年を迎えた。その日僕は後輩の恋人が出演する声楽のリサイタルを聴きに行っていて、この重要な記念日のことは綺麗に忘れており、後から聞いてみれば編集者の西川タイジさんも例外ではなかった。九月辺りから、「もうすぐ一年が経つんだなぁ」ということは思っていたし、西川さんとも会話はしていたのだ。しかし当日は普通に忘れていた。カレンダーにでも書いておけば良かったのだろうけれど、裏を返せば僕も西川さんも、あえてカレンダーに書くような日ではないと思っていたということでもある。そしてそれは、この日が重要な記念日であることとは矛盾しない。

 その数日後、つまりつい先日、友人の結婚式に参加したのだけれど、学生時代にさんざん馬鹿話を交わした旧友たちが揃いもそろって生後一年に満たない赤子を大事に抱えながら出席しており、止まることも戻ることもない圧倒的な時の流れが、今この瞬間も僕の身をさらって未来へと運び続けていることに気づいて僕は戦慄した。その柔らかくて小さな手に恐る恐る触れながら、彼らが名付けた子の名前を僕も呼んだ。新郎となった友人が一人の伴侶とともに人生を歩むことを神に誓い、集った人に向けて謝辞を述べるのを聞いたとき、僕の目からは嘘みたいな量の涙がこぼれてきた。結婚式には何度も参加してきたけれど、こんなに涙が出たのは初めてのことだった。訳あってその日は徹夜明けで式に参加していたのだが、涙の理由はそれだけでも、また単なるノスタルジーだけでもないと思った。

 一年。何もないところから、一人の人間がこの世に生まれるのに十分な時間。一人の男子が、一人の父親となるのに十分な時間。彼らは本当の意味でボーイにさよならしているのだった。涙を乾かしながら僕は半ば呆然とその様を見つめ、この一年の間に自分が何をしていたかを思い返していた。

 一年前、『さよならシティボーイ』が世に出てからというもの、僕と西川さんはずっしりしたその本を抱えていろいろな書店を巡った。これは本当にありがたい話だ。というのも、この本は取次を介さずに販売しているので、基本的には直接お声がけを頂いた書店にしか置かれないことになっている。だから、どの書店に本を納めにいくときも、つまりはその書店から棚に並べたいと思って頂いたわけで、文字通り「有り難い」ことに直面していてなんだか現実感がなかった。ただ、本の重さだけがリアルだった。『さよならシティボーイ』は一冊328ページあるので、十冊も束ねると広辞苑のページ数を超え、ちょっとした鈍器並みの重量感になる。納品や出展のために本の束を上げ下ろしするたびに、自宅から何十冊もの在庫をキャリーケースに詰めて、はるばる現地まで運搬してきた西川さんの苦労がしのばれるのだった。

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※現在の取り扱い書店はこちら。

 それから、即売イベントにもたくさん出展した。これも主には西川さんによる営業努力というか、いろいろなご縁があって呼んで頂いたものもあれば、文学フリマのように版元のトーキョーブンミャク自ら参加するものもあった。特に印象深いのは、十月の終わりに妙蓮寺の書店「本屋・生活綴方」歌人櫻井朋子さんと一緒に店番をした夜のことだ。その頃、櫻井さんも書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズから歌集『ねむりたりない』を上梓したところで、「生活綴方」には『ねむりたりない』と一緒に『さよならシティボーイ』も並べて頂くことになり、それぞれの著者である櫻井さんと僕(と西川さん)とで一日だけ店頭に立つ機会を頂いた。

 「生活綴方」は静かな町なかに開かれた書店である。営業中の入口は半透明のカーテンがゆるく開口していて、店の面した路地から覗けば奥のレジまで見渡せるようになっており、書店というよりは八百屋や駄菓子屋のような風情のある暖かい店だ。店頭にはガチャガチャが置いてあって、塾帰りの小学生がそれを目当てに立ち寄ってくる。散歩中の犬が飼い主よりも興味を示してくれることもある。僕はと言えば店先に出してもらった椅子に腰掛けてぼんやりし、時より訪れるお客さんに挨拶をして、『さよならシティボーイ』を買ってくれた方には雑談をしながらサインをする。「生活綴方」では普段から、この店に共鳴した人たちが持ち回りで店番をしていて、客や従業員といった垣根も曖昧に、うっすら本好きな人たちがゆるく集まっては解散していくような不思議な空間を形成していた。店の奥で櫻井さんが短歌仲間と久闊を叙している声を聞きながら、赤々と光る電気ヒーターのそばで、夜の商店街を行き交う人を眺めていると、イベントというよりも親戚の家に遊びにきたような感覚に陥った。




※当日の様子

 このように手売りの機会が多いので、サインもたくさん書いた。四年前、共著『エンドロール』に参加して初めてサインを書く機会を得たときは、自分がサインを書くという事実の気恥ずかしさにどうにかなりそうだったが、お陰で今回はさも当然のように先行販売のイベントからサインをさらさらと書くことができた。

 繰り返しサインを書いているうちに何か気の利いたことを付け足したくなって、たしか今年の一月に大阪の「toibooks」に呼んで頂いた時のことだったが、いつも書いているサインと即興の自由律俳句に加えて、小さな犬のイラストを描くようになった。僕は絵心に恵まれた人間ではなかったので、最初の頃は犬というよりも「四つ足の何か」がサインの下に佇んでいるという風情だったが、段々慣れてくるとデフォルメされた犬らしき動物を描けるようになってきた。その犬はいま、トーキョーブンミャクから隔月で発行している「手紙エッセイ」の封筒の隅で尻尾を振っている。もちろん、一つひとつ僕の手描きだ。相変わらず上手ではないのだけれど、ずっと苦手意識のあった「絵」に挑戦する機会をも、僕はこの本に与えられたのだった。


※犬の絵。練習して3ポーズ描けるようになった。

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※手紙エッセイ。リンク先は10月便ですが、恐らく隔月間隔で期間限定販売していきます。

 そのほか、とても書き切れないほどのたくさんの出会いや機会を僕は『さよならシティボーイ』からもらってきた。生物学上の父親になるのはまだまだ先の話になりそうだけど、この本や、サインの隅にいる犬は僕にとって自分の子どものようなものだ。それも、すでに僕の元を離れ、立派に独り立ちしている子どもである。

 『さよならシティボーイ』は誰かの本棚の中で、時には手の中、鞄の中で、読み手と音のない会話を交わし、彼ら/彼女らの人生にほんの少しだけ関わっている。文章を書くことを選んだ人間として、そのことを本当に喜ばしく思う。来年も、再来年も、こんな風にこの本の話ができることを望む。そしてまた、僕が書き続ける文章が、どのような形であれ誰かに届き続けることを祈りたい。

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筆者: すなば
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