猫の生、詩の嘘

実家では猫を二匹飼っていて、いやこの表現は正確ではなく、僕はかつて猫を二匹飼っていて、僕が家を出た時、自然にその二匹の猫の命は父と母に託された。そのうちの一匹が少し前に生涯を閉じた。一月の終わりのことだった。

二匹の猫は姉弟で、僕が十六歳の頃に家族に迎え入れられた。その頃の二匹はまだ握りこぶしくらいの大きさで、何をするにもしきりににゃぁにゃぁ鳴いていた。

数年経ち、僕は大学生になり、両親がしばらくの間海外に移り住むことになって、僕は家に残って二匹の猫を世話することになった。この間、少し僕の身辺は乱れて、それでも猫の命だけは守ろうと考えていた。命を預かっているという自覚だけが、僕を正気の生活にとどめたぎりぎりの一線だったかもしれない。まぁ、猫にとってそんな都合はどうでもいいことだ。

両親は二年後に帰国した。僕は大学を卒業して働き始め、一年半後に家を出てひとり暮らしを始めた。糖尿病になった弟猫に注射をすることも、トイレのシートを取り替えることも、いつの間にか吐いている毛玉を片付けることも、家を出る前に服をコロコロすることもなくなって、両親だけがそのルーティンを継続した。

さらに五年が経つ。

その夜、僕は在宅勤務を終えて、ウーバーイーツで届いたブリトーをもそもそ食べていた。思ったより仕事が長引き、料理をするのが面倒だったのだ。

スマホに母から電話があって、出ると、弟猫がもうだめかもしれないとのことだった。食事を始めた父の皿を見物しに食卓に上る日課をこなそうとした時、血栓が大動脈に詰まって突然足腰が立たなくなったらしい。動物病院の主治医は、もうできることはないから家で見守ってください、と猫と母を帰し、帰宅した母は僕に電話をかけた。

見るのも辛いかもしれないから、来るかどうかは任せる、と言って母は電話を切った。僕は残りのブリトーを口に押し込み、自転車を飛ばして実家に向かった。一昨年から、ひとり暮らしの意味があるのかというくらい実家の近くに住んでいた僕だったが、引っ越してよかったと思った。

家につくと、リビングルームの中央に、敷物やクッションで、身動きの取れない猫のための空間が作られていた。そうして僕たち家族は、考えられる限りの介護を行った。

そこから猫が死ぬまでのことは書かない。

次の日の朝、一階の、庭に近い部屋の窓辺に、たくさんの花が供えられているのを僕は見た。花々の中心にはamazonダンボール箱があって、その中にはタオルが敷かれていて、タオルの上にはしとやかな毛並みの一匹の獣が横たわっていた。花畑の中で眠っているみたいだった。花は、父が朝一番で買い求めてきたのだという。

葬儀の手配は昨夜のうちに済んでおり、僕たちはそれまでの時間、ふつうに朝食を食べた。

葬儀のことも、特に書くつもりはない。

一通りのことが終わったあと、僕は次のような短歌を詠んだ。

さよならを言えない君は空を見てあそこに行くと僕に教えた

この歌は一から十まで嘘で、彼はたぶん、自分が死の際にあることすらも最後まで理解できていなかっただろう。別に空を見てもいないし(上を見たところであるのは天井だけだ)、ましてや「あそこに行く」なんて思うはずも教えるはずもない。

それでも僕はこの歌を詠まなければならなかった。ひとえに感傷から、こういう歌を詠む必要が生じた。僕が短歌に親しんでいたからたまたま短歌の形になっただけであって、例えば僕がミュージシャンなら同じような感傷で曲を作ったり歌詞を書いたりしていたかもしれない。それはわからない。ただ、巨大な感傷があった。すでに無秩序な物質となった亡きがらの周りに爛漫と万花を添えることと、それは同じ種類の感傷だ。

生も死も、十三年の時をかけて存在した彼の全霊を、もはや通過した後だった。後はただ、依然として存在を続ける僕たちだけの問題だった。生きているものの問題だった。

今でも僕は、夜中にBUMP OF CHICKENの『宝石になった日』や東京事変の『落日』を聴いて泣くことがある。わざわざ聴いて泣くのだ。泣いて、特に意味のあることを思うわけでもないが、ただ漠然と「生きよう」と考える。身体は何があっても生きようとするがゆえに、生きている限りは最後の最後の一瞬間まで生きるしかないことを、そのわかりきったことを、僕はあの夜に直視したのだから。すると、ごく小さな痛みだけが残る。この痛みだけがずっと残っていくもので、短歌を詠んで泣き、歌を聴いて泣き、在りし姿を思い出しては泣くときの、打ち寄せるような大きな悲しみは、やがて少しずつ小さくなって、取るに足らないさざ波になっていくことを、もう僕は知っている。

詩は嘘であるかもしれないが、嘘を限りなく削ぎ落とした後に残る真実とは、死を迎える身体の理不尽だけだ。ならば僕たちは嘘に生かされているのだろう。それに、全部嘘でも別に構わないから、僕は猫がいたことを覚えておきたいのだ。全部嘘でも構わないから、僕がまだ生きていたいのと同じで。


- - - - -
筆者: すなば
→Twitterアカウント

チリはたまる、心は散らかる

在宅勤務が中心の生活になると、家事をよくするようになる。ここ一年間で急激に起きた生活の変化のうち、数少ない良かったことのひとつだ。

ひとり暮らしを始めたのは二十三の頃だった。実家も勤め先も都内で生活に不便はなかったが、昔からひとり暮らしというものに憧れを抱いていて、入社二年目の秋になけなしの賞与を元手に引っ越したのだ。又吉直樹が『火花』で芥川賞を受賞する直前のことだった。

その年の夏、僕は『芸人と俳人』という本を読んだ。又吉直樹俳人・堀本裕樹に俳句を教わっていくという内容だ。一四九ページ目で上田五千石の「秋の雲立志伝みな家を捨つ」という句が紹介されていた。又吉直樹が鑑賞して曰く、「『立志伝みな家を捨つ』というのは、その通りやと思います。実家暮らしで大成功した人って、あまり聞かないですもんね(笑)」。秋までに引っ越してやろうと思った。

実は、自分の住処をまともに掃除するようになったのもひとり暮らしを始めてからなのだ。もともと一人で暮らすのが性に合っていたらしく、家具を揃えるのも床を磨くのも楽しかった。実家の子ども部屋に住んでいたとき、特に高校生になってから感じていた居心地の悪さは、たぶん「誰かに生かされている」自分を歯がゆく思う卑近な自意識に根ざしてたのだろう。親に買い揃えてもらった物で囲まれた部屋を、僕はほとんど手入れしなかった。する気も起きなかった。仮住まいだと思っていたのだ(生意気にも)。そんな僕が生まれてはじめて自分の給料で借りた部屋は驚くほど心地よく、愛しく思えた。週末に部屋中を掃除する習慣ができた。

今も掃除はまめにする方だし、冒頭で触れたとおり、家事に割ける時間も増えたので部屋はよく片付いている。でも室内で過ごす時間が増えたので、なんだか床が汚れていくのが以前よりも早い。髪の毛や、埃や、なんだかわからない砂粒のようなもの(全部まとめてチリと呼ぼう)が裸足で歩き回る足裏にくっついてくるのだ。床面積に対してチリの散在量が増えていくほど、足裏がチリをキャッチする頻度が上がる。そうしてだんだんチリが溜まって、大体木~金曜日くらいに足裏で感じ始める床の汚れを、今は水曜日くらいには感じ取るようになってきている。

話は変わるが、「部屋の汚れは心の汚れ」という言葉がある。僕の嫌いな言葉のひとつだが、なぜ嫌いかと言えば微妙に的を射ているからだ。ただし「汚れ」という言い方は正確ではないように思う。「部屋は散らかる、心も散らかる」くらいならまだ分かる。放っておけば部屋というのは散らかっていくものだ。リモコンは勝手にホルダーには入っていかないが、気づけばベッドの下にいることはある。物の移動距離は同じでも、片付くより散らかる方がずっと自然に起こりやすい。エントロピー増大の法則である。だからこそ僕はそれに抗う。しかし日に日にチリは溜まっていき、ある日足裏を襲撃する。心だって同じだ。誰も汚しているわけではない。ただ自然のなりゆきとして、散らかってゆくのだ。

心にたまったチリを人はどうしているのだろう。歩くたび足裏を苛むチリを。こまめに掃除をしているのだろうか。実家の母親のごとく、放っておけば誰かが片付けに来てくれるのだろうか。掃除をきちんとするためにはやっぱり、部屋を愛するかごとく自分の心を愛することが必要なのだろうか。少なくとも、心を自分のものと思えていないと厳しい気がする。他人のものになってしまうこともあるけど(恋とか)。

掃除のコツがあるとすれば、とにかく考えずにやり始めることだ。心についても同じ気がする。考えずに拭き取ってしまうことだ。やっても、やらなくても、どちらにしても来週末にはまた散らかっているのだから。

- - - - -
筆者: すなば
→Twitterアカウント

武蔵小杉で夢を聞いてきた彼女のこと

入梅から数日経って、池の底にだんだん沈んでいくみたいに、初夏の熱く乾いた空気が日ごと湿って冷えていく。気温が下がりきると、今度は水温に慣れた体が内側から熱を帯びてくるようにじわじわ蒸し暑くなる。そんな日に僕は、普段は寄り付かない駅の近くで喫茶店に入って人を待っていたことがある。何年か前、大学を卒業してそんなに経っていない頃の、今日みたいな雨の日だ。

待ち人は歳の近い女性で、名前はもう覚えていないが仮にユミコとしよう。ユミコは大きな目と日焼けした肌が印象的な、活動的でかわいらしい感じの人だった。

ユミコと初めて顔を合わせたのは、武蔵小杉の商業施設の中にあるダイニングバーだった。食事の約束をする時、ユミコが「武蔵小杉が行きやすい」というので、一度も降りたことのない武蔵小杉駅の近くにあるレストランを食べログで調べて予約した。野菜料理とモヒートがウリのおしゃれなお店だったと記憶しているが、今にしてみればいかにも大型商業施設に入っていそうな店だったなとも思う。

十九時に店内で待ち合わせて、ユミコは五分ほど遅れて到着した。「こんにちは~」と弾む声がかわいらしい。緊張しながらメニューを見せて野菜料理やモヒートを勧めると、ユミコは「私、ご飯食べてきちゃったんだぁ」と言った。

僕たちは食事の約束をしていたはずでは。

僕は「そうなんだ。じゃあ飲み物だけでも」と言ってドリンクのページを開いて机に置いた。ユミコは「ありがとう」と笑ってメニューを一瞥すると、その笑顔のまま右手を挙げて「すみません!」と店員を呼び、アイスティーを注文した。「以上で!」とはきはき話すユミコに従って下がろうとする店員を慌てて僕が呼び止めた。「あ、あとモヒート。それとシーザーサラダ」。まだ自分の分の飲み物も注文していなかったのだ。完全にユミコのペースだった。広がったままのメニューを畳んでテーブルの隅のスタンドに戻す時、そのページに載っている品はバリエーション豊富なモヒートだけで、アイスティーなんてどこにも書いていないことに気づいた。

その時点で何か、自分が根本的な間違いを犯しているような気はしていた。中国の故事に「狡兎三窟」という言葉がある。大自然で生き残る賢い兎は、いざという時に逃げ込む穴を三つは用意しており、一つの穴がダメならもう一つの穴、そこもダメでも更にもう一つ、と幾重にも備えることで危機を凌ぐことができるという意味で、リスクヘッジの大切さを後世に伝えている。僕は一つの穴も持たない愚かな兎だった。女性と食事の約束をしておきながら、適当に言い訳して自分から早々に席を立つという選択肢は、その時の僕にはなかった。

まずアイスティーとモヒートが運ばれてきて、僕たちは一応乾杯をした。ストローをつまんでユミコがアイスティーを吸う。すぐに口から離すと、僕の目をまっすぐに見つめて、

「すなばくんの夢って何?」

「え、夢?」

僕は当時WEBメディアの編集者として働いていて、高校生の時から編集の仕事をしたいと思っていたので夢は叶っていた。だからこそ、次の目標、次の夢を心のどこかでは求めていたのかもしれない。恋をしたいと思った。キラキラした恋を。学生時代の、何もかもを破滅させながら互いの深淵に没頭するような恋愛ではなく、楽しげで、気軽で、オープンで、余裕のある、おしゃれな恋愛をしたいと思っていた。だから働くようになってすぐマッチングアプリを使い始めたのだし、そこで出会ったユミコとこうして顔を突き合わせているのだ。

夢を問われて答えに窮する僕を、ユミコは許すように微笑んだ。「これ見てほしいの!」と言いながら傍らのハンドバッグから革の手帳を取り出して、ぱらぱらとめくってテーブルに置いて僕に見せてくれた。

「私の夢が百個書いてあるの」

「シーザーサラダお待たせしました」

ちょうど運ばれてきたシーザーサラダは両手で抱えるサイズのガラスのサラダボウルに盛られていて、パルメザンチーズが景気よく振りかけられていた。ユミコは笑顔のままさっと手帳を引き、置かれたサラダボウルをすぐに両手で脇にどけると、再び僕の前にそのページを開いてみせた。

その時、会社の飲み会でいやというほど反復していた動作が無意識に再現した。僕は取り皿を左手に、机の端に寄せられたサラダボウルからトングを右手に取って持ち、気づいたときにはシーザーサラダを取り分けていた。

ユミコは無言で僕を見ている。

「あ……サラダ食べる?」

「うん、大丈夫」

僕は取り分けたサラダをテーブルの端に置いた。テーブルの真ん中には、ユミコの手帳が開かれている。何事かの箇条書きが、強い筆圧でびっしりと刻まれている。ビックリマークが多い。内容は「ニューヨークでお茶する!」とか「南の島でハンモックでお昼寝♪」「おばあちゃんに温泉旅行をプレゼントする!!」といったものだった。

「私ね、三年くらい前に上京してきたんだけどね」

ユミコはそうして自分の身の上を話し始めたが、もう全然覚えていないし、その時も翌日には半分も覚えていなかったと思う。でも、話の輪郭だけは今もなぞることができる。なんらかの理由で挫折し故郷に帰ろうとした時、彼女は自分の価値観を変えるほどの偉大な人物に出会うことができた。その人物が彼女に説いたことこそが、「自分の夢を百個並べてみなよ」だったのだ。

「そしたら俺が全部叶えてあげるから、って言ってくれたの!」

ユミコは目を輝かせて僕に話した。

そしてその時の僕は今の百倍はピュアで、感動に打ち震えていた。

「すごいね……!」

「でしょ! それでね、その人の紹介で友達もたくさんできて、今も元気に東京でやっていけてるんだぁ」

理由はわからないが、とにかく挫折しかけていたユミコはその自信過剰な人物と出会って持ち直し、現に東京で(武蔵小杉は神奈川県だが)夢を追いかけ続けている。この時、僕は素直に感動していたのだ。世の中にはうさんくさい人間も多いが、有言実行は素晴らしい美徳だ。こうしてユミコが目の前にいるのだから、その人のカリスマ性も本物なのだろうと思った。ただ、手段だけが不明だった。

長く目標にしていた「とにかく編集の仕事に就く」という夢を叶えた僕は、一方で、様々な事務処理やなかなか挙げられない成果に悩まされてもいた。その時、僕は何かもっと偉大な存在に自分もなれるような気がしたのかもしれない。その人がユミコを救ったように人を救い、皆から尊敬されるような何者かに。「意味のある何者かになれる」という可能性は時として、恋愛なんかよりも甘美な誘惑になりえる。

ユミコは感極まり、いつの間にか目に涙を浮かべながら、今の自分がいかに恵まれているかを話していた。僕はもらい泣きしそうになるのをこらえながら、ただただ相槌を打ち続けていた。

「私ね、すなばくんにも絶対に幸せになってほしい」

ユミコは涙をぬぐいながら言った。

「すなばくんって優しいし、聞き上手だし、あの人みたいになれると思うの」

僕が、あの人みたいになれる。その日一番の胸の高鳴りを僕は聞いた。ユミコが涙ながらに訴えるのは、僕の中に眠る無限大の可能性だ。僕はもしかしたら、選ぶキャリアを間違えたのではないか。本当は編集者ではなくて、もっと偉大な、たくさんの人を救って心の支えになるような、そんな存在になるべきなのかもしれない。

ユミコが僕を見つめる。

「あんまり誘わないんだけどね、今度その人が主催のホームパーティーがあるの。私からすなばくんのこと紹介したいな。すなばくんも絶対気に入ってくれると思う」

僕は二つ返事で承諾した。

待ち合わせに指定されたのは田園都市線沿いのある駅で、どの駅だったかはもう忘れてしまった。神奈川県寄りか、神奈川県内のどこかだ。

指定の時間に改札前で待っていてもユミコがこないので、LINEで「どこにいる?」と連絡した。返信はすぐにきた。

[お店で準備の手伝いしとったのー! 30分くらい時間つぶしとって><]

ホームパーティーと聞いていたが、どこかの飲食店を貸し切って開催するらしかった。僕は高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、改札を抜けて駅前に出た。降り続く雨に煙る街は人影少なく、日も暮れて青ざめた暗闇に浸されつつあった。なんとも言えない寂しさと興奮をないまぜに感じながら少し歩き、純喫茶を見つけてブレンドコーヒーを頼んだ。

通された窓際の席からは、知らない街の知らない道が見える。まばらに行き交う人の、傘の下にある表情も見える。僕は熱いコーヒーを口にした。ミルクの入った銀色の小さな容器が、店内の明かりを受けて鈍く光っていた。今日という日は、この先の僕の人生においてどんな意味を持つことになるのだろう。これから向かう店や、これから出会う人に思いを馳せながら、人のいない喫茶店で一杯のコーヒーと過ごした時間。この時間が、今にして思えば最も充実していたようにも思える。

しばらくするとユミコから連絡が来て、[もう皆始めとるけん迎えにきたよ!]とあった。着いたときには準備中だったり、少し経つともう始まっていたりして、いまいち状況が読めないパーティーだった。僕は喫茶店を出て、駅前まで迎えにきてくれたユミコと合流した。ユミコは大きなビニール傘の下でにこにこ笑っていた。

「着いたらタケさんにすぐ紹介するね!」

タケさん、というのはもちろん偽名だが(本当の名前は覚えていない)、挫折したユミコを救った偉大なる人物のことだ。今回のパーティーの主催もタケさんで、なんなら参加費もほとんどタケさんが持ってくれており、ゲストである僕は無料で参加できるのだという。

どこまで太っ腹なのだ、タケさん。やはり成功者は違う。僕は本気で敬服しつつ、ユミコからタケさんの話を聞きながらパーティー会場に向かった。

住宅街の中で二棟のマンションに挟まれるようにして建つ小さなビルの二階に、そのバーはあった。どきどきしながらユミコに続いて暗い店内に入ると、カウンターテーブルが一台だけのこじんまりとした空間で拍子抜けした。カウンターの中には浅黒く日焼けした長いパーマヘアのバーテンダーがいて、席に座る客も若い男女が二人だけ。彼らは店に入ってきた僕たちを見ると、「おっユミコ」「やっほーユミコ」と挨拶した。

ユミコはやあやあと挨拶すると、体を半歩ずらして「今日つれてきたすなばくん」と僕を紹介した。

「よろしくおねがいします」と頭を下げると、カウンターの三人は愛想よく応えてくれた。「なんかバンドやってそうだね」と女の客のほうが言って、「すなばくんバンドやってるの?」「いや、やってないよ」とユミコとひとしきり応酬して皆がハハハと笑うと、なんとなく入国審査のようなものが終わった感覚があった。

「上にみんないるよ」

バーテンダーがユミコに言った。ユミコは「うん」と言って店の奥に歩き出した。ついていくと、どん詰まりに一人分の幅の階段があって、上階に通じている。

「あ、上があるんだね」と間抜けな感想を述べる僕に、ユミコは「そうなの。秘密基地みたいでしょ」と陽気に笑いかけて階段を上った。

上階のスペースは人だらけでよくわからないことになっていた。暗い照明、誰も使っていないDJブース、テーブルと椅子は十分に並んでいるようだが、人が多くて着席率は飽和している。ユミコはすれ違う人に挨拶しながら人混みをかきわけ、隅の席まで僕を導いた。

そこには、L字型のソファに腰掛けて悠然とワイングラスを傾けるタケさんがいた。タケさんは日焼けした若い男性で、三十代くらいに見えた。センター分けの黒髪は九十年代のキムタクみたいだった。

「タケさん。この子がすなばくん」

ユミコが話しかけると、今までタケさんと話していたらしい女性はそそくさと立ち去っていた。不思議なのは誰もタケさんの隣には座らず、今ユミコが話しかけているように席のそばに立って話しているらしいことだった。

「すなばくん、はじめまして」

タケさんは立ち上がり、右の手の平をズボンでぬぐって僕に差し出した。僕も応じて固い握手を交わす。握力は強かった。

「はじめまして。会えて嬉しいです」

僕が言って、すかさずユミコが「すなばくん、ユミコの話聞いてすっごいタケさんに会いたいって言ってたの!」と続けた。タケさんは眉一つ動かさず、「そっか」とうなずいて再びソファに腰掛けた。

どうしたら良いのか分からずにいると、タケさんは「横、座りなよ」と僕に促した。

「えっいいんですか!」

「ユミコも、ほら」

こうして僕とユミコはタケさんの両隣に座り、ワインを飲みながら話をした。

タケさんは言った。

「すなばくん、夢ある?」

絶対に聞かれると予想していた僕は、用意していた答えを言った。

「タケさんみたいになることです!」

僕とタケさんは一時間くらい話し込んだ。最初の五分でユミコは席を立っていなくなり、僕はタケさんの語る人生論のようなものを相槌を打ちながらずっと聞いていた。

「普通に会社員やって、会社で仕事して過ごす四十年間。一日八時間働くと三分の一でしょ? ってことは十三年間はずーっと働いてるわけ。この時間で俺は好きなとこ行って好きなことやってる。で、ここにいる皆もそうなれるように動いてる。ノるやつはノれるけど、ノれないやつは一生ノれない。働くのが当たり前だと思ってんだよね……」

僕は目を輝かせながら頷いていた。

どうしたらそんな生き方ができるのか、具体的な方法を早く教えてほしかった。

「俺は社会の仕組みの外にいるんだよね。みんなが働いて金稼いでるのを箱の外から見てる。俺らは助け合えば助け合うほど金が入ってくるようになってるの。そういう仕組みを一度作っちゃえばあとは好きな時間に好きなことを……」

聞けば聞くほど魅力的な人生だ。早くそうなりたい。タケさんに勧められるままワインを飲みながら僕は前のめりに相槌を打ち続けた。たまに「いやーほんと、どうすればそうなれるんですか? 投資とかですか?」と水を向けてみるが、そのたびに「仕組みを作る」「仲間で時間をシェアしあう」と曖昧な言葉ではぐらかされてしまう。

「すなばくん、マジで今日会えてよかったよ。俺ら友だちになろう」

タケさんはまた右手をズボンで拭いて、僕に差し出してきた。僕は「はい! ぜひ!」と良い返事をしてその手を握り返した。酒が入ったからか、最初に握手したときよりも少しだけ握力が弱い気がした。

流れでタケさんの席から離脱し、所在をなくした僕はユミコを探した。なんだか疲れたので挨拶をして帰ろうと思った。

ユミコはタケさんの席とは対角線上の隅で、五人くらいの集団で話していた。だいぶ酔いが回っていた僕は臆せずその中に割って入り、「ユミコさん、今日はありがとう」と挨拶した。

ユミコは話していた仲間たちに僕のことを紹介し、彼らも快く僕を会話の輪に入れてくれた。僕はなんとなくまた自分の夢を聞かれるような気がしていたが、その通りになった。

「タケさんみたいになるのが夢だよ」と言うと、ハットトリックを決めたチームのサポーターばりに彼らは熱狂した。反対に、僕は自分の心が急速に冷めていくのを感じていた。

その場にいた女性の一人に夢を聞いてみると、フランスのパリでアパルトマンを借りてアクセサリーを作り、小さな店を出すことだという。隣の男性に聞くと、世界中を巡って老人ホームを建てたいと言っていた。ユミコは嬉しそうにその様子を眺めている。

彼らの職業は、保育士、水道局員、アパレルの販売員、証券会社の営業と様々だった。共通しているのは20代が中心で若いこと、みんな夢があって目が輝いていること、そしてお互いを褒め合い、決して否定しないこと。

「ユミコはね、うちらの集まりから彼氏もできたんだよ」

パリでアクセサリーを売りたい女が言った。僕は、あぁ、と思った。そうですよね。

なんか色々わかってきちゃったな。

ユミコは、やはり少しは負い目があると見え、否定も肯定もせず曖昧に笑っていた。僕は「えぇ~羨まし! 最高じゃないですか。タケさんもいるし」と言って、「すなばくん本当にタケさん大好きだね!!」と笑いを誘った。タケさんはもう、この場から僕が無事に逃げおおせるための、三枚のお札のうちの一枚でしかなかった。

「じゃ、そろそろ帰ります。ありがとねユミコ! また!」

僕はできるだけ元気に言って、皆から手を振られながらその場を後にした。階段を下るとバーカウンターには人が増えていて、「お先失礼します」と僕が頭を下げると、皆にこにこと手を振って見送ってくれた。

ビルを出ると、雨は上がって辺りは森閑としていた。濡れたアスファルトが冷やした風が、火照った顔を撫でていくのが心地よかった。耳を澄ますと、二階から彼らの喧騒が漏れ聞こえてくる。さっきまで僕の居たところ。社会の仕組みの外にいる人たちの宴だ。

僕は田園都市線に乗って家に帰り、シャワーを浴びて寝た。翌朝、ユミコから昨夜のお礼と共に、タケさんが僕を気に入ってくれたということと、具体的なビジネスの仕方について教えたいから武蔵小杉のカフェで会おうという連絡がきていた。僕はシャワーを浴びて着替え、朝食を食べてから出勤した。あれからユミコには会っていない。

- - - - -
筆者: すなば
→Twitterアカウント