自己紹介が苦手 - 『さよならシティボーイ』刊行二周年に寄せて

 自己紹介が苦手なのだ。

 会社員を十年もやっていると、初対面の人間に自己紹介をする場面がそれなりに増えてくる。「○○部○○担当の○○です」みたいな紹介なら別に何ということはないのだけど、プロジェクトの懇親会と銘打って開催される半分オフィシャルな大人数の飲み会や、新入社員との顔合わせ、友人の友人と会ったときなど、端的に「自分はこんな人間です」と言うことができない。いや、言えるには言えるが、自分が言ったことに自分で納得できない。

 そもそも、自己紹介って大体は「名前」「年齢」「居住地/出身地」「職業」「趣味」の五大要素で構成されていると思うのだが、こんな情報で自分を表現しきれるわけがないのだ。しかし場の都合上、この要素を言えば大体はその人の「紹介」が完了したことになる。それがいつも気持ち悪い。もうやらなくていいじゃんと思う。最低限呼び分けられるように名前だけ名乗ればそれでいいと思うのだが、しかし「自己紹介」を求められることは多く、そういう場面で「すなばです。以上」みたいなことをやってしまうと、それはそれで逆効果というか、余計な印象を強く持たれるだろう。

 ところで僕は先述の通り会社員をやり始めて十年になるのだけど、2018年に『エンドロール』(PAPER PAPER)に執筆者として参加して以来、作家としては五年間活動していることになる。書店のイベントや文学フリマなどの即売会では、作家としてその場に立っているので「自己紹介」に悩むこともそんなにない。「この本を書いたすなばです」で許されるからだ。自己紹介として必要十分な情報量と言える。会社員としての僕の活動に興味を持つ人がそもそも少ないので、相手に興味を持たれない情報をわざわざ「自己紹介」の体で提供する無駄もない。

 しかしシチュエーションが正反対の場合、つまり会社員として参加している場で、プライベートの趣味も含めて「自己紹介」する流れになった場合は少し面倒だ。僕は筆名も自著も仕事関係の人には公開していないが、一方で共通の知り合いを口止めしたり、検索対策を徹底したりしているわけでもない。居るかどうか分からないが僕のプライベートに強い興味を持つ人(あるいは特定が趣味の人)はこのブログにたどり着くだろう。とはいえそのような自己紹介の場で「趣味は文筆で作家としても活動しています」とは絶対に言わない。さりとて「すなばです、以上」もやってはいけない場合には、「写真が趣味です」を使うことにしている。嘘ではないし、深掘り質問も浴びづらい、攻守に優れた回答だ。なぜ自己紹介をするのに「攻守」とか考えないといけないのだろうとげんなりする。

 大体、聞く側の心構えができていないのに、気軽に趣味とか言わせるべきではないと思う。「抜け落ちた人毛を収集することに強い興味があります」などと言われたらどうするつもりなのだろうか。そういう、人の秘めたる一面は、何気ない会話の中からこぼれ落ちてきた時にだけ本当に価値があるのだ。

 あと「出身地」を言う流れになったときも結構困る。僕は五歳まで広島県で過ごしたので一応「広島県出身」ということにしているが(それさえも母からは「あんたが生まれたのは山口県の病院だけどね」などと指摘されるが)、未就学児の行動範囲や認知能力などたかが知れており、「広島県あるある」みたいな話題には全くついていけない。方言も話せない。しかし「出身地」と言ったからには話題の糸口にされてしまうので、「出身は広島県ですが東京育ちなので」などと回避しようとすると今度は「長々と言い訳して都会人アピールか?」と思われてしまいそうで、それもできない。ではいっそ「東京出身」ということにしてしまえば、とも思ったが、会話の流れでうっかり「広島県生まれ」という情報を言ってしまうと「この人、広島生まれなのに東京出身って言ってるんだな」と思われそうでそれも嫌だ。そもそもなぜ自分が嘘をつかないといけないのだ。

 つまり「自己紹介」の欺瞞とは、本来は多次元立体のように様々な角度から観察しないとその輪郭すらもつかめない他人の「自己」を紹介可能なものとして扱っている点にある。その不可能性と真摯に向き合っていっそ割り切り、「名前と一言だけお願いします」と指定してくれる方が気持ちが良い。自己紹介の開始に際して、司会者がそう言ってくれる時は本当に助かる。心の中で最大の感謝を贈っている。

 たぶん、世の中には「自己紹介」が得意な人もいると思う。僕が「欺瞞」と表現した矛盾を乗り越えて、公と私との境界を軽やかに飛躍する自己表現をやってのける人が。「所詮は自己紹介」とその人は言うだろう。しかし、誰もがそう易々と自己と折り合いをつけて生きているわけではない。紹介できるほどの自己をあつらえることができたなら、もっと上手くやれたであろう場面がこれまでの人生でいくつも思い浮かぶ。「自己紹介」とはその人の社会性を試すある種のテストでもあると思う。だしぬけに出題される抜き打ちの小テストだ。苦手意識を感じつつも、赤点は回避していると思いたい。採点結果は誰も教えてくれないのだけど。

 信じられないほど前置きが長くなったが、僕の単著『さよならシティボーイ』(トーキョーブンミャク)が刊行二周年を迎えた。半ばこの本に関する情報のお知らせブログと化している本ブログだが、本当は「自己紹介が苦手」みたいなレベルのことをたくさん書いていきたいと思っている。思っている間になんと二年が経ったということだ。光陰矢のごとしとはこのことである。

 最後に記事を書いたのは刊行一周年の時だったので、この一年間何をしていたか、簡単に報告したいと思う。まず自分の公式サイトを作った。ドメインをとったりノーコードのツールでデザインを組んだりして楽しかった。作家として初めて参加した出版物である『エンドロール』(PAPER PAPER)をはじめ、これまで自分が書いてきたものを集約した情報が無いのがずっと気になっていたので、作れて良かった。このサイトが僕の「自己紹介」だ。自分が書いてきたものほど、雄弁に自己を語るものはない。

 それから、トーキョーブンミャクで新しく『さんぽぶんこ』シリーズの刊行が始まった。その名の通り、散歩に持って行って公園やカフェで読むのにぴったりなボリュームのリトルプレスだ。第一弾は西川タイジさんの短歌と掌編小説が収録された『はなればなれ』で、第二弾が僕の書いた『マッチングシンドローム』である。

tokyobmk.base.shop

 『マッチングシンドローム』は、その名の通りマッチングアプリを題材にした小説だ。とあるマッチングアプリの男性ユーザーが、いろいろな女性と出会ったり出会わなかったりする様子を描いている。ラブストーリーと呼ぶには少々憚られる内容だったりもするのだけど、読んでくれた人からは不思議と「マッチングアプリをやってみたくなりました」という感想をもらうことが多い。なんでだろう。これは作者の僕にも分からない。

 今は公式在庫が切れているのだが、取り扱いを頂いているいくつかの書店ではまだ在庫があるかもしれない。重版の際にはTwitter、失礼、Xで告知するのでご確認いただきたい。ちなみにこの作品には続編がある。いつ、どのような形で出るかも、そのうちお知らせできると思う。

 まったく、『さよならシティボーイ』が出た頃には「もう三十歳になってしまう」とか思っていたのに、その感慨を今も昨日のことのように感じるというのに、今や堂々たる三十路、もうすぐ三十二になる。今の自分を四十歳の自分は褒めてくれるだろうか。自己紹介の練習でもしようかな。

 皆さんもお元気で。

- - - - -
筆者: すなば
→Xアカウント