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シティボーイなのにう○こを漏らした

ここのところ仕事がマジで忙しくブログを開設した事も忘れて東奔西走していたところ高熱を出して木曜夜に倒れ、2日で復活した起き抜けに「そういえば俺はブログを作ったんだ」と思い出して今に至る。

前回の記事でいわゆる「お題募集」をしたところ、1本目の記事が巻き起こした喧騒が嘘のように静かな通知欄となり、たった1通だけTwitterのDMで「う○こを漏らしたことはありますか」とクソみたいな(umai!)質問が来た以外は何らの言語的リアクションも得られずインターネットの冷たさを身にしみて味わった。誰も俺などに興味はないという事実、@Copy_writingのカリスマ性、そして女子高生のブランド力の凄まじさをただただ痛感するばかりであった。

せっかくなのでう○こを漏らした中1の冬の思い出を赤裸々に綴ろうとも思ったのだが、そもそもにしてこのブログは「シティボーイのおしゃれなブログ」というコンセプトのもと立ち上がったものであり、タイミング悪く俺が最も嫌悪する人種の代表格であるところのコピー野郎が炎上していたので手のうずきを止めることができないままヘイトをまきちらしたところ「変態おじさんの変態ブログ」的な立ち位置を確固たるものにしてしまったことは遺憾の極みであるので当分はオシャレでスマートな記事しか書かない。ご了承いただきたい。

というわけで、今回はう○こを漏らした中1の冬の思い出について書く。

俺は幼稚園から大学院まである一貫教育の私立学校に中学から通っていた。男子校である。中1の冬というと、ようやく周囲とも打ち解けて気のおけない友人ができ、ジャイアンとスネオを足して2で掛けたような幼稚園上がりのボンボンどもとも日本語で意思疎通ができるようになりはじめる頃合いである。

あれは、希望者が参加する2泊3日のスキー合宿でのことだ。

両親が『私をスキーに連れてって』直撃世代であったこともあり、俺はスキーに関しては、小学校4年生の時分にはすでにパラレルターンをキメられるほどの腕前を有していた。ゲレンデにもスケートリンクにも必ず一定の割合で大人たちの隙間を縫うようにやたらと達者に滑っていく小生意気なガキがいるものだが、そういう種類の子どもだった。

スキー合宿は楽しく、「ゲレンデデビューは3歳の時カナダの犬ぞりで」(想像)的なクラスメートとも仲良く銀世界をエンジョイ。合宿自体も、2日目の午前に17班のH君がなぜかリフトからずり落ちてシートに右手1本で掴まっただけの宙ぶらりんとなり(このとき斜面との落差15m)死ぬ気で20秒耐えたのち「今だ! 落ちろ! 落ちろ!」とインストラクターの絶叫とともに落下して「メテオ」の称号(3日で呼ばれなくなったアダ名)を得た以外は何らのアクシデントもなく終わった。

帰りのバスまでは。

3日間の日程を無事終了した生徒たちは、厳命されていた日焼け止めの塗布を怠ったばかりに1ヶ月は引きずるゴーグル焼けをどいつもこいつも顔面にクッキリと作っていかにも「冬を別荘でエンジョイしたお坊ちゃん」的雰囲気を漂わせていた。都心の学校を目指すバスの、和気藹々とした車内で、一人だけ蒼い顔をしている生徒がいる。誰あろう、MM5(マジで漏らす5秒前)状態の俺である。

そのとき俺の隣に座っていたYくんは、ご多分にもれず幼稚園上がりのボンボンで、色白で細面のちょっといい匂いのする少年であった(モテた)。高校1年生の夏に原因不明の血尿を出すまでは挫折というものを知らず、当時は人の痛みのわからぬ傍若無人ボーイだった(だがモテた)。

出発直後から周囲の生徒を6人ほど巻き込んで大富豪や淫語しりとりに興じていた俺はすっかりハイテンションになっており、1学年300人を超える学校であったのでバス内で新しく友人を作れたこともあって我を忘れてはしゃいでいた。4時間強の帰路で1度だけあったSAでのトイレ休憩ではたこ焼きとソフトクリームを買い食いしトイレに寄らずにバスに戻るという軽挙妄動に打って出て、極めつけにはファンタグレープの500mlペットボトル入りを自販機からテイクアウトしバスの中でがぶ飲み。がぶ飲みしながら淫語しりとりを再開。大した語彙もないのに淫語しりとりの何がそこまで面白かったのか今となっては不明だが(とは言ったものの今も酒が入ると「う○こ」「ち○こ」だけで2時間は笑える)、とにかく楽しかったのである。便意の存在をしばらく忘れるほどに。

書き忘れていたが、俺は相当お腹が弱い。これは恐らく遺伝によるもので、その後の人生でも何度となく苦しめられる悲しきカルマであった。酔いつぶれて正体をなくした父が「その辺にクソひり出してないでしょうね!?」とにわかには信じがたい叱責を母から受けているのを何度となく子供部屋のベッドで聞いていた俺は、その時になって初めて血の宿業を感じた。めちゃくちゃう○こしたい。気付いた時には既に事態はフェーズ4まで移行しており(6で漏れる)、絶望と腹痛、そして直腸に感じる禍々しい気配に顔面蒼白となり口数も少なく、淫語しりとりで番が回ってきても「イ……イカの臭い」などと蚊の鳴くような声で返すのが精一杯だった。

そして、俺の異変に目ざとく気付いたのが隣のY君である。Yくんにうんこを漏らしそうな隣人の気持ちはわからぬ。Yくんは何不自由なく生きてきたボンボンである。しかし人の弱みには人一倍敏感であった。

「お前どうしたの?」 とYくんは俺に聞いた。

「ちょっと……腹痛くて……」祈るような気持ちで俺がそう返すと、Yくんは「ふーん」と返して少しだけ笑みを浮かべ、突然俺の腹にパンチを打ち込み始めた

「オラッ!(ボグッ) オラッ!(ボゴォ)」「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」

経験がある方はわかるかと思うが、腹痛がマジでヤバイ時は身体を1mmたりとも動かしたくないのである。大声も出したくない。全身の筋力という筋力、精神という精神を全て直腸の蠕動運動を押しとどめるために総動員しなければならないのだ。トイレに向かうときですら歩き方には細心の注意を払わねばならぬところを、腹パンでもされようものなら泣きっ面に蜂、焼け野原にテポドン、臨時出費にリボ払いである。Yくんとしてはまさかさっきまで一緒にはしゃいでいた俺が一気にフェーズ4まで移行しているとは思わず、ほんの戯れのつもりの腹パンだったのであろうが、それにしたって「腹が痛い」と訴える友人の腹を殴りつけるのは人としてどうかと思う。

その腹パンにより、便意はフェーズ5へと移行した。

もはや一刻の猶予もない。

脂汗を浮かべながら視線を巡らせると、青い半透明のエチケット袋が目に止まった。

フゥーッフゥーッと荒い息遣いでエチケット袋を取り出して広げ始める俺を見てようやくYくんも事の重大さを認識したと見え、通路を挟んで隣に座っていたKくんに命じて「こいつがやばいからすぐトイレ休憩するように運転手に言え」と命令。このころのYくんは、面倒なことは全て他人を動かしてやらせるという信条を曲げようとしなかった。信じられないかもしれないが、「花男」の道明寺のような思考回路の男は実在する。Kくんが前方に座っていた教師に俺がMM5である旨を伝え、様子を見に来た教師はエチケット袋をものすごい表情で見つめる俺を見てギョッとした表情を浮かべるとすぐさま運転士に「どこでもいいからトイレのあるところに寄ってくれ」と伝達した。

「おい、大丈夫か」

大丈夫なわけあるか。俺は教師の方を見もせずに、「最悪の場合ここに出します」と答えた。車内に緊張が走る。いつしか皆、それぞれの話を止め、俺の一挙手一投足を静かに見守っていた。しかし見守られたところでどうなるわけでもない。今にも肛門に飛び出さんとする元気な男の子の気配を異様なまでにくっきりと感じる。額には汗。顔面は蒼白。その時、窓からは白く雪化粧した富士山が見えた。それが俺の最後に見たものとなった。俺はついにズボンに手をかけ、ついでパンツの後ろ半分も下ろし、エチケット袋をあてがった。

それから先のことはよく覚えていないが、生まれ落ちてすぐ水中に入らないソレはかなり濃厚な臭いがするということと、車内の全員が祈るような面持ちでこちらを見ていたことは覚えている。

俺の中ではその時、玉音放送が流れていた。

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「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス……」


そしてバスが停まった。教師が俺に「急ごう」と言った。俺はエチケット袋の口をきつく結んでリュックに放り込み、立ち上がると同時にものすごい勢いで俺を避けて通路に飛び出したYくんを一瞥。いくぶんかスッキリした腹具合で、教師とともに小走りでトイレを目指した。

負けた。

日本は戦争に負けたんだ。

そのとき俺は泣いていた。何のための涙だったのか、今となってはもうわからない。